2022年02月17日

盛岡県=岩手県(怒!)

昨日、2月定例会が開会し、恒例となっている知事の演述がありました。

いわて県民クラブ代表としての私のコメントは今朝の岩手日報紙に書いてある通り。後日詳しく解説します。しかしながら知事の発言に力強さを感じたという他会派の感想を見て、人間というのは先入観や思惑で受け取り方がかくも違うものかと驚きを隠せません。

昨日の知事演述で強い違和感を感じた部分がありました。

今年は「盛岡県」から「岩手県」に改称されて150周年となり、令和8年の5月25日には、現在の県域か確定されて150周年の節目を迎えます。この令和4年度から8年度までを「県政150周年記念期間」として、岩手のことをよく知り、岩手の在り方を考える機会とし、県民の皆様と共に記念行事を行います。

この考え方は盛岡県が主体で後年編入された地域は従属的扱いで、カチーンときたのでしたが、

最後の結びに、ご丁寧に

今年、岩手県は県政150周年を迎えました。

と断言しました。

前段に県境が確定されたのはあと4年後と言いながら、盛岡県が岩手県に改称された年を150年と断定するのは異議があります。

明治5年に盛岡県が岩手県に名称を改称。
明治9年4月18日に磐井県が廃止、磐井、胆沢、江刺3郡を編入、同年5月25日に宮城県気仙郡、青森県二戸郡を編入して現在の岩手県が成立しのです。

達増知事の歴史認識は、岩手県の名称が決定した年を県政150周年とするといったものです。

後年、編入された地域に関しては後からくっついてきたものといった認識が透けて見えます。盛岡県以外の地域への配慮もないことに岩手県のリーダーとしての資質が問われます。歴史認識にとどまらず、こうした考え方が知事の認識の根底にあるということは地域振興、事業の予算投下額にも影響が出ることにつながります。

私自身先祖が田村藩士であったこともあり、こうした誤った認識は絶対に許せません。
posted by 飯沢ただし at 09:37| 岩手 ☁| Comment(0) | My Diary  【ふつうの日記】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする