2021年10月23日

世代交代なんだよ

後楽園時代から場内アナウンス・山中美和子さん、きょうヤクルト戦で3000試合超キャリアに幕
【10月23日(土)11時0分 スポーツ報知 電子版】

 巨人軍の主催試合で、選手の名前などをコールする「場内アナウンス」を担当している山中美和子さん(64)が、きょうのヤクルト戦を最後に、その職を離れる。後楽園球場時代の1977年から“ウグイス嬢”を務め、1軍の公式戦からオープン戦、そして、以前は2軍も担当するなど、ここまで3000試合以上もマイクの前に座ってきた。

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 山中さんが巨人軍の球団職員になったのは、1977年のこと。長嶋監督の第1期政権時代で、前年の初優勝に続き、V2を狙う−という年だった。それまで山中さんは神奈川県高等学校野球連盟(高野連)の職員として、春、秋の県大会、夏の神奈川大会でアナウンス係を務めていた。そんな山中に、巨人軍への転職を勧めたのが、当時の神奈川県高野連・清水仲治理事長だった。

  一念発起。77年の夏、巨人軍球団職員募集の試験にチャレンジした。ところが、書類選考の段階で落ちてしまう。山中の自宅は後楽園球場の最寄り駅からは遠方にあった。現在のようにJR(当時は国鉄)の電車本数が多くはない。「ナイターが終わってから帰宅できない」というのが理由だった。

 「『ああ、ダメだったのか』と思っていたら、球団から連絡があったんです。『入社試験を続けませんか』と。それで、試験を続けると、ある日、原稿を読まされましてね。『5番、レフト・末次、背番号〇〇』というように『〇〇』という穴を埋めるような原稿でした。アナウンスの力と知識をいっぺんに試しているようなものでした」

 実はこの時、巨人は“即戦力”のアナウンス係を探さねばならない事態に見舞われていた。

 1953年からアナウンスを務めていた務台鶴さんが病気療養に入っていたのだ。古い巨人戦の映像でおなじみの「4番、ファースト、王」の声の主。王の調子の良し悪しが、打席の構えで分かる−というほどの大ベテランだ。もう1人、アナウンス係がいたが、こちらも結婚退職が決まっていた。高校野球の場内アナウンス経験がある山中は、チームにとっての救世主だったのだ。

 こうして、山中さんは試用ながら球団職員となった。8月末には、さっそく多摩川で2軍戦の放送を担当。秋を迎えた頃、体調を崩した務台が多摩川にひょっこり姿を見せた。

 「ちょうど雨の日でした。務台さんは傘も差さずに、2軍戦を土手の上から見ていてくださったんです。試合後、お話しする機会があり、私は『次打者の名前をコールするタイミングはどの辺りが良いのでしょうか?』と聞いたんです。先頭打者なら、投球練習の球が捕手から内野回しのために返球された時なんですが、先頭以外は、どうしてもタイミングがつかめなかったんです」

 すると、務台はこう答えた。

 「あなたがお客さんだったら、ジャイアンツファンだとしたら、どのタイミングで聞きたいの? それを考えなさい」

 選手の名前のコールを聞いて、ワーッと盛り上がりたいのがファンだ。「ジャイアンツファンだったとしたら、それが分かるはず」と務台は言った。

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【テレビアニメ巨人の星にも出ていた務台鶴さん】


 「それを聞いて『ハッ』としました。私がアマチュア時代、務台さんのアナウンスで『すてきだな』と思ったのは、倉田(誠)投手を呼ぶ時だったんです。倉田さんがリリーフで活躍している時期があり、務台さんが『ピッチャー、堀内に代わりまして…』と、ここでひと呼吸おいて、『倉田』とアナウンスすると、後楽園全体が沸いたんです。それが『いいな、すてきだな』って。だから、務台さんのアドバイスは効きました。それからは、ファンの気持ちを一番に考えて、コールするようになりましたね」

 務台さんは翌78年5月にこの世を去る。山中さんは今も命日には都内にある恩人の墓参を欠かさない。


私は務台さんの長嶋選手引退試合のアナウンスが印象的で今でも記憶に残っています。

務台さんの持っていた雰囲気が山中さんにも引き継がれていた感がありましたが、このような秘話があったのですね。心に響く話です。

時間の流れは止められません。大事なものは受け継ぎ、新しいものは果敢に取り入れる。会社経営にも学ぶことの多い事実ですね。

そのうえで、今日の締めの言葉は、「政権交代より世代交代」!
posted by 飯沢ただし at 23:34| 岩手 ☁| Comment(0) | My Favorites 【お気に入り】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする