2021年09月11日

嗚呼!半世紀の時の流れよ

今月26日の市議会議員選挙告示日に向けて各陣営が後援会の事務所開きが今盛んに行われています。

今回の一関市議会の定数は26人。

定数26という数字は父が昭和47年1月の大東町議初陣で出馬した時(私は小学校5年生)の定数が26でしたので連想が効きました。

あれからちょうど半世紀。今から50年前の世相はどの自治体も昭和40年前後に赤字団体を脱して、ようやく自治体経営に余裕が出始めてきた頃と推察します。オイルショック前で高度成長期がピークに達し、皆がまっすぐ前を向いていた時代でした。


この機会に一関市合併前の当時の8自治体の市町村議会の議員定数を調べてみました。

一関市  定数30名(昭和46年12月12日選挙施行 立候補者40名)
花泉町  定数26名(昭和46年12月19日選挙施行 立候補者32名)
大東町  定数26名(昭和47年 1月25日選挙施行 立候補者40名)
東山町  定数22名(昭和47年 1月22日選挙施行 立候補者28名)
千厩町  定数26名(昭和48年 4月21日選挙施行 立候補者40名)
【この千厩町議会議員選挙の投票率93.59%!😞】
藤沢町  定数26名(昭和46年 9月19日選挙施行 立候補者38名)
室根村  定数22名(昭和47年 3月24日選挙施行 立候補者31名)
川崎村  定数18名(昭和48年 9月20日選挙施行 立候補者24名)

50年前には同じエリアに196名もの議員が存在していたのです。
そして選挙戦も約10人は落選の憂き目を見るという厳しい闘いを制したものでした。ちょうどこの頃にポスター掲示板が設置をされたと記憶しています。

この数字だけでも活力を感じます。

現在の26/196は13.3%で、いかに広い地域を市議がカバーしなければならないということです。

この間、もちろん人口はも大きく減少していますが、面積は変わりません。

地域民からの行政へのニーズは大きくは変わってはいないと感じますが、行政からのアプローチは変容せざるを得なくなっていきます。そうした中で議員は活動の中身も自ずから変化していくことは必至。

議員も選挙民も時代の変化とともに適応するのはもちろんのこと、特に議員は議決権の重さがさらに重くなることから時代の先を読む力が求められてくると強く感じるこの頃です。
posted by 飯沢ただし at 00:24| 岩手 ☁| Comment(0) | My Diary  【ふつうの日記】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする