終わってしまえばあっという間のオリンピックでした。
日本選手の大健闘でした。毎日感動をもらいました。このコロナ禍の中で、開催されるかどうかもわからない中でひたすら調整を重ね、努力を惜しまなかった選手の皆さんに敬意を表します。
しかしながら、閉会式のイベントも見てるのも恥ずかしくて途中で止めました。開会式同様に日本文化のバラ売りで統一感もなく未来への暗示もない。冬季五輪並みのクォリティーの低さです。広告会社に委託したと聞きましたが、もしそうならば広告会社の実力も落ちたものです。すなわち日本の国力が落ちていることなのだと思います。
1964年の東京五輪の閉会式はシナリオにないハプニングが起きました。各国の選手らが登場順番を無視して肩を組み入場してきたのでした。まさに五輪精神を体現したものとなったのは有名な話です。
57年の月日が経ち、そしてこのコロナ禍での開催という異例の開催。異例ならば、それなりのコンパクトな監修があって欲しかった。そんな余裕もないのも承知ですが、そもそも総体のコンセプトに欠けていました。これが日本の実力と思われることに情けない思いが自分にあります。
にしても無事に閉会したことは多くの方が安堵したことでしょう。72年のミュンヘン五輪では大会中にテロがあり、アメリカの水泳スピッツ選手は途中で帰国したことを思い出しました。84年以降は何事もなくオリンピックが開催されたことは僥倖だったのかもしれません。今回の東京五輪によって多くの課題、特にIOCの商業主義の過熱、パンデミック発生時の対応などが浮き彫りにされたことから、将来の五輪のあり方を考え直す機会になったと思います。状況に応じて臨機に改革していくことこそ常に人類に与えられた道です。
最後に大会を支えてくれたボランティアの方々をはじめ、すべての関係者の皆さんに感謝を捧げたいと思います。