五輪、1都3県の無観客決定 福島や宮城などは有観客に
【日本経済新聞電子版 7月8日 20:31 (2021年7月9日 10:58更新) 】
23日に開幕する東京五輪の観客規模を巡り、大会組織委員会や東京都、国際オリンピック委員会(IOC)などは8日夜、5者協議を開催し、都内の全会場を無観客とすることを決めた。組織委はその後、関係自治体との連絡協議会を開催し、神奈川、埼玉、千葉の3県の競技会場も無観客が決定した。
ほかに競技会場がある福島、宮城、静岡の3県は観客を入れ、定員の「50%以内で最大1万人」とする。茨城県は子どもたちに低価格で観戦機会を提供するための「学校連携観戦チケット」のみ有効とする。北海道は対応を検討する。
政府が描いた最悪の五輪開催シナリオとなってしまった。が、開催すると国際機関を含めて機関決定した以上は、人命に影響を及ぼさないことを優先すべきで致し方ないと思う。政府の判断やコロナ対応に関しては、後日書く機会があれば私の思いを綴りたいが、ここでは今回の東京五輪の意義について述べたい。
近代五輪が1896年にアテネで開催されて以来、無観客開催はもちろん初めてのケースであり、1980年モスクワ五輪がソ連のアフガン侵攻により西側諸国が大会ボイコットした以上のマイナスインパクトで開催する大会となる印象だ。
1984年のロス大会以来、五輪の商業化が大会ごとに肥大し、IOC役員にも利益をめぐる事案が頻繁に起こるなどカネに関する問題がその都度指摘をされてきた。無観客開催になったことによりチケット販売額が灰燼と帰し、ライセンス契約によるグッズ販売も見込めなくなり、放映権主体の収入構造の大会になったことで逆の見方をすれば五輪大会の真の意義が見直されるいい機会になるかもしれない。
観客の熱気に包まれないことを想像しただけで高揚感はすでに私の中でもないが、しかし、これからもパンデミックに影響される大会もないとは限らない訳で、与えられた条件の中でいかに五輪の目的を達成できるか、人類の英知が試されることになる。
マイナス下限の限界点からスタートする東京大会。経験則のない大会からどんな発見が生まれるか。そうしたことをポジティブに考えながら私は大会を観たい。