2020年07月07日

私はまだ死にたくない。。。

6月定例議会が閉会しました。

今朝の岩手日報朝刊では議会からも具体的な政策提言は見れなかったと批評されていましたが、私は千葉じゅんこ議員からはコロナ禍を通じて県政が足りないところを指摘して自らの考えをぶつけていたと感じました。

それにもかかわらず当局の答弁は、取り組み状況の説明に多くの時間をあてていて、課題を明確にしつつ解決に向けたプロセスを示すようなものはどれくらいあったでしょうか。


驚きを越して呆れたのが「マッチ売りの少女」を引用した知事答弁。その答弁直後の執行部席の微妙な空気を私は見逃しませんでした。

千葉じゅんこ議員はコロナ禍により社会が変容しつつある中で、経済的基盤を失った人たちに今どんな幸福を語るのか。このままの総合計画で進んでいいいのかと問いました。千葉議員はその前段で公的に経済的身分を保証をされている議員や公務員がしっかり幸福を深く考えていかなければならないと自らの覚悟を示したうえで質問しました。

達増知事はアンデルセン童話の「マッチ売りの少女」を引用して、少女が貧しくも厳しい境遇にあるけれども、マッチを一本一本擦ることによって夢と希望を灯すことができたのだ。つまりは裕福な人ではない人がむしろ幸福を描けるのだ。幸福を語るはここにあると力説しました。


しかし、マッチ売りの少女は死んでしまうのです。いくら理屈を並べても死んでしまったら元も子もありません。

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マッチ売りの少女の物語が死で終わってしまうのはあまりに悲劇的だということでアメリカでは最後は裕福な人に救われるという筋書きを変えたという例もあったそうですから、この少女の死はあまりに印象を強くするものです。死という悲劇的な結果はさておき理念を重視する・・・これは県政にあって思い当たる節があります。

知事は経済的基盤というところだけを切り取って自分の都合のいいところを童話を引用して説明したのでしょうが、この引用はまったく的外れ。もっと言えば県民に対しても失礼な話だと思います。県民の幸福とを導き出すアウトプットと戦略が大事であって計画や政策は柔軟に対処すべきものと私は考えます。

千葉じゅんこ議員の質問の本質には触れず、結局は総合計画を変えずにこのままやればうまくいくと断言したのですから危機感の欠如を私たちに与えるにある意味十分な答弁だったとも言えますが。

「もはや昨日には戻れない」「あの日には帰れない」というコロナ禍のインパクトに対する意識が薄く、幸福追求権を金科玉条にして自画自賛。時代を乗り越える戦略なし。このようなリーダーの姿をさらに認識させられました。
posted by 飯沢ただし at 19:09| 岩手 ☔| Comment(0) | My Diary  【ふつうの日記】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする