「義経を大切にしていれば…」 感染ゼロの岩手、知事が他県民への配慮訴える
【毎日新聞2020年5月15日 16時23分(最終更新 5月15日 23時46分)】
岩手県の達増拓也知事が15日の定例記者会見で、新型コロナウイルス感染への警戒から県外の人を遠ざける動きがあることについて聞かれ、「他県の人である源義経を虐げた途端に奥州平泉(の藤原氏)が滅びてしまった」と歴史を引き合いに出して県民に配慮を求める一幕があった。
岩手は感染者がまだ確認されておらず、達増知事は会見で、感染者が少ない地域との県をまたいだ移動の自粛を解除する方針を示した。その際、記者から「県外ナンバーの車が冷たい視線を浴びている」として対応を尋ねられ、義経の名を出した。
義経は平安時代末期、京都から平泉(現・岩手県平泉町)に移って青年時代を過ごした後、兄の頼朝とともに平氏と戦った。しかしその後、頼朝と対立。義経は再び平泉に身を寄せたが、奥州藤原氏は頼朝の圧力にかくまいきれなくなり、義経を自害に追い込んだとされる。奥州藤原氏もその後、頼朝に滅ぼされた。
達増知事は「義経を大切にしていれば岩手は悪くなかったのに、京都からやって来た義経を虐げた途端に滅びた」と振り返り、「岩手は東日本大震災からの復興でも県外の方に助けられている。他県の方には親切に、寛容にしてほしい」と呼び掛けた。
【日向米華】
他県民の配慮を求めたまでは良かったが、義経を引き合いに出すのは主観が入り過ぎ。
義経が平泉に戻った頃は鎌倉の勢力が強大化し、平泉の情勢が秀衡治世時代とは世の中が大きく変化しており、義経を虐げた途端に滅びたとは短絡的な歴史認識だ。泰衡が鎌倉に対抗できる戦略も持ち合わせていなかったことを考えると平泉は義経如何に拘わらず攻められていたことは間違いない。虐げるという言葉を使うのもどうかと思うし、途端に滅びたという表現も正確ではない。こうした誤った歴史事実を発信すること自体情けない。知事は平泉授業とやらを学校で講師をしているらしいが、こんな調子なんだろうか。
おおよそ比喩や例えは的確に本質を突いていなければ意味がない。その点、椎名悦三郎・素夫親子元議員の例え話はユーモアも入り混ぜて絶品であった。