人気者になっても奢らず高ぶらず庶民感覚の笑いを追求したところに志村けんへの愛着があった。台湾からも弔意が寄せられていることに志村氏の笑いの原点を知ることができるのではないか。

私は完全にドリフ世代だが、志村けんがドリフに正式に加わったのは昭和49年。自分は中学一年になり多少大人になっていたので、爆発的に流行した「ひげダンス」や「カラスの勝手でしょ♪」は引いて見ていた。ただ「東村山音頭」は単純に面白いと思った(笑)
その後は特に加藤茶との息の合ったコントは本当に楽しませてもらった。志村ばあさんや変なおじさんは観察力、洞察力から生まれ出せれたキャラクターと知ったがそれを笑いに表現できる才能は誰もが一流のコメディアンとして認めていたところだと思う。
ドリフの正式なメンバーとなったのは加藤茶の強い進言があったと今回知った。加藤茶が志村けんの才能を認め、自らのドリフの人気者一番手を譲っても互いに共鳴し芸の質を高めていったことに加藤茶の慧眼と懐の深さを感じる。ドリフ時代はお客さんにウケたのは個人ではなくメンバー全員で共有されたという。こうしたグループの結束を揺るがさなかったのはリーダーのいかりや長介の力によるものに間違いない。
追悼番組で高木ブー氏が「オレ、決めたの。志村は絶対に死なない。心の中でずっと生きている。」と話したときは心にジーンと迫るものがあった。世の中を明るくしてきたコメディアンがいなくなるのは本当に寂しい。私の心の中でも楽しい思い出はずっと残っていきます。
ドリフの大爆笑のもしものコーナーでサービス過剰な銭湯があったらとのコントは忘れられない。ぜひYOU TUBE等でご覧あれ。ドリフのメンバーのいかりや長介への愛がよくわかります。
