2020年01月23日

最後は人が動かす

私は小さい頃から気管支が弱く、風邪を引くと一発で気管支にきます。最近乾燥している日が続いているせいか、気管支の調子がよろしくありません。そんな理由でブログ投稿も滞っていますことをお許し下さい。

「岩手牛」の売りこむイベントがあり、先日上京してまいりました。そこでちょっと気づいたこと。

故郷に向かう東京駅発の新幹線は今は発車5分前にならないとホームに到着せず、世の中の進歩を感じる象徴的な事象です。車中では隣のお客さんとお話しすることもなくビジネスマンはメールのチェックや、スマホで情報の収集もできます。何と便利になったことでしょう。

その反面、対人とのコミニケーション能力が減退していることも最近とみに気にかかります。
便利の裏側にある落とし穴といったところでしょうか。

私が子どもの頃、祖母によく連れられて電車、汽車で遠出する機会がありました。当時の旧国鉄時代の車内ではグリース油の匂いや、長距離列車ではお酒とスルメの混合した何とも言えない匂いが充満していました。長い汽車旅ではボックス席に座った他のお客さんと冷凍みかんとかを差し出していろいろな話をする光景も目に焼き付いています。

frozen orenge.jpg


換気の悪い駅の待合室はタバコの煙でモヤっていました。今から思いと本当に隔世の感があります。

eki machiaishitux.jpg


話が逸れてしまいましたが、話をする機会が多いということは相手の見定める洞察力が磨かれるということ、このことを言いたかったのです。

情報が瞬時に飛び交う世の中にあっても、最後に意思決定をするのは人間であること。このことを忘れてはいけません。昔の人は面談してとことん話し合いをして問題解決していました。便利な世の中だからこそ、そうした機会を敢えてつくらないと危機が迫った時に突破できません。


人口減社会に入り、労働生産性の向上がよく話題にでます。情報処理能力だけでは人間力を高めることにはならない。県庁のような大きな組織ほどこうした点に括目して人材教育をすべきとつくづく感じます。

posted by 飯沢ただし at 23:47| 岩手 ☔| Comment(0) | My Diary  【ふつうの日記】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする