2019年07月18日

伊東恭二氏がご逝去

旧大東町の町議会議員(昭和59年2月〜平成16年1月)を5期20年務められた伊東恭二氏が逝去され(享年91歳)本日葬儀並びに告別式が執り行われ私も参列致しました。

恭二氏は「中野のきょんつぁん」と呼ばれ、地域の人に親しまれ尊敬された方でした。

大東町鳥海に大本家(中田)を置く伊東家はかつて奥州に名を轟かす歴史ある名家です。その一派の実務的なとりまとめをしていたのが恭二氏であったと私は認識しています。

名家の血筋を受け継いでいるにもかかわらず、決して目線が高くすることなく、逆に進んで人の世話をする方でした。林業の振興にも多大な尽力をされました。和の心で人をまとめる心優しいリーダーでした。


飯澤家も伊東家との関わりがあり、祖父から父そして私へとご厚誼を頂いております。そういう理由で私の県議選初出馬から3期間、興田支部の支部長として大変なお世話を頂戴しました。誠に感謝にたえません。

増田寛也大東後援会の立ち上げをしたときに「政治家は人の世話をしてこそ価値が定まる」と言ってもらい大変喜んでもらいました。また、恭二氏が当時会長を務めていた岩手県緑友会総会で私が農林水産員会副委員長の立場で祝辞を述べたときにも「飯澤君に祝辞を言ってもらって本当に良かった」と話してくれたのもいい思い出です。

肺の病気を抱えながらも晩年も地域の振興に尽力された恭二さん。生前のご功績を偲び心から哀悼の誠を捧げたいと思います。ありがとうございました。


令和と元号が変わり、この短期間に興田地区をけん引したかつてのリーダーが相次いで鬼籍に入られました。及川健氏、高橋政司氏、そして伊東恭二氏。時の移り変わりを感じます。
posted by 飯沢ただし at 23:51| 岩手 ☔| Comment(0) | My Diary  【ふつうの日記】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする