2019年01月09日

信無くば立たず

今日は父の命日でした。

亡くなったその日は平成9年の1月9日の早朝でした。亡骸は入院していた岩手医大から私が運転して自宅まで運びました。途中盛岡南インターに入る国道4号線の交差点でトラック組合に亡くなったことを知らせた記憶がまだあります。


父は少年をそのまま大人にしたような純な心の持ち主でした。父は大の動物好きで、私が小学生の頃祖父がスズメを獲る仕掛を私に教えていたときに悲しい顔で「そんなのは可哀そうだからやめろ」と祖父のいないところで私に言いました。テレビのマジックショーも真剣に見て喜び、ペリーヌ物語の最終回は妹の前で泣いていました。

ラグビーは旧制中学から同好会を発足させ大学でもプレーし、40歳になったころ大東高校の高校生が空地でラグビーをやっているのを見て血が騒いだのか自薦押しかけで監督になりました。私が小さいころはラグビー中継は教育テレビで年に数回しか放映されませんでしたが、かなり一緒に見ました。監督になってからは高校生の部員も自宅に呼んで一緒に観戦したこともあります。父の影響で私もラグビー部に入部しましたが、ろくなコーチもいない部でしたので基本がなってない私を見かねた父が風呂上りにスクラムを組まされた記憶があります。私にとって最高の父とのふれあいの思い出です。今も元気で生きていたら今年のワールドカップ大会に夢中になり釜石に連れて行けと言うに違いないはずです。

私たち子どもに対しては優しい父でした。めったに大声で叱ったことはありません。むしろ厳格な祖父によく私は叱られました。ただ父の会社に入ってからは人としての配慮に欠けたことをしたときは厳しい叱責を受けました。


政治の世界へは祖父の政界引退から引き継いで町議になりましたが、県議への転出は自らの意志で決断したと後に後援者の方から聞きました。父にとって多くの人たちとの出会いは喜びであったと思いますが、当時の権謀術数の政治の世界は自らの精神の疲弊させてしまったかもしれません。でも多くの方々の信頼を得て政治の道で活動したことは本人はとても満足していたと私も確信しています。

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今年も各地の新年会に招待を受けて参加してかいましたが、今でも父との関わりによって私を応援してくれる方々はたくさんいて声をかけてくれます。本当にありがたいことです。きっと父も祖父に対して同じことを思ったのだと思います。私の政治の道に入った原点はやはり人との信頼なくして語れません。父を信じてきてくれた人たちを裏切れない、その思いが21年前に私の背中を押しました。父の命日に当たってあらためて原点に立ち帰り前を向いていきたいと思います。

posted by 飯沢ただし at 23:58| 岩手 ☁| Comment(0) | My Diary  【ふつうの日記】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする