昨日は標題にかかる初めての審議が始まりました。まだ中間案ですのでこれから議会や県民からの意見を聴取しながら、当局は来年の2月議会に最終案を提出する予定となっています。
岩手県議会では平成15年に「県行政に関する基本的な計画の議決に関する条例」を制定しており、その条例の趣旨に沿って議会に諮ることになっています。この計画を審議するためだけの委員会が設置されて10年前に行った審議形態を参考にしながら9月議会、12月議会(知事に対する質疑もあり)、2月議会(知事に対する質疑もあり)という予定で審議が行われる予定です。昨日は最初の審議でした。
私はこの計画の大前提となる「幸福」の規定に関して、ならびに「幸福」を政策へ落とし込む手法について疑問に感じており、昨日はそれらの点について質問しました。
住民に対して幸福感を充足させるための施策展開は他の行政でも行っていますが、本県の場合はかなり特殊で、個人の幸福に対する感じ方の多様性を認めつつも、県が規定するのカテゴリーが県民の幸福だと断定し、そのカテゴリーに沿った政策を実現することが幸福になるのだというロジック、分かり易くいうとそういう体系になっています。
@そもそも県行政が個人の領域に至るところまで規定した計画を立てる妥当性はあるのか
Aそもそも県という行政体は基礎自治体である市町村を補完し、力強い産業振興策を動かすのが求められている行政の姿ではないか
B次の10年は生産年齢人口の急減でかなり厳しい経済予測がされているのに、幸福枠に押し込められた産業施策の柱建てでは未来はない
他の委員からも農林水産業振興の施策展開について疑問が出ておりました。
質疑を通じてどうも達増知事の「幸福」に関する思い、このような観念的なものを斟酌しなければならない不自由さが答弁する職員の苦渋な姿に表れており、その姿を直視するのは切ない思いが起こったのも事実です。
いずれにしても来月は知事との直接的な質疑の機会がありますのでしっかり詰めていきたいと思います。
それにしても第一会派の議員(構成は16名、委員会は議長を除いて15名)の質問者が一期生のたった一人とは・・・どのように理解したらいいのか・・・