2018年06月28日

しあわせって何だっけ何だっけ?

今日から6月定例県議会の一般質問がはじまります。
いわて県民クラブからは千葉じゅんこ議員が登壇し、一問一答方式で臨みます。

今議会は現在県で策定が進んでいる新しい県の総合計画について質問する議員も複数いるようです。
私は引退された議会の先輩や経済人に「幸福をキーワード」にした次期総合計画について話題をふると、ほぼ全員が濃淡こそあれ違和感を口にします。

・この厳しい社会環境のなかで抽象的な概念である「幸福」を主題にしていること
・政策が二の次に置いておかれて一体何を目指すかわからない
・特に県の産業振興策が見えない

集約すると以上のような意見です。私がこれまで県に指摘してきた内容と問題認識は同じです。

県が「幸福」を持ち出してきた根拠として震災以降に政策立案に唱ってきた「幸福追求権を保障する」ことの延長上にあると説明してますが、私は根拠設定もいまだに納得がいきません。幸福追求権は国民に与えられた権利として憲法13条に書き込まれていますが、

その内容は「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」と定めていて、 「生命、自由及び幸福追求に対する権利」は、まとめて「幸福追求権」と呼ばれているものです。

13条は、個人が何が幸福かは人それぞれ全く違うこと。ゆえに幸福の権利自体を保証することは事実上無理なことを書いています。そこで、憲法は「幸福を追い求める権利」を保障しているのです。みんなそれぞれの価値観に基いて幸福を追求していいですよという権利なのです。


そこで矛盾が生じます。行政が行政の枠にはめた幸福の概念を計画に押し込めること自体が無理があるということにならないでしょうか。
そしてまた追い打ちをかけるように、先般の議案説明会では新たに「幸福を守り育てる」行政の役目という概念も登場してきました。この迷走ぶりには私自身はとても整理がつきません。価値観が異なる幸福を行政が守る育てる?さらにこれらが県の総合計画に値するのかという基本的な疑問にもぶち当たります。

今議会では、「幸福」の起案者の知事がどこまで政策化までのプロセスを自分自身で描いているのか質問する議員には期待します。

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【誰もが幸福になりたい でも押し付けられた幸福なんて要りません】


ダイバーシティが叫ばれているご時世に県の物差しで幸福を測って守り育てて欲しいとは県民は期待しているでしょうか。為政者の思い込みのお流れ頂戴はご免蒙ります。

posted by 飯沢ただし at 01:47| 岩手 ☔| Comment(0) | My Opinion 【意見を申す】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする