2018年01月07日

闘将星野仙一逝く

闘将星野仙一が逝ってしまった。

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闘将と言われた選手は数多く存在したが、闘将と呼ばれファンに長く支持され愛されたプロ野球選手は星野仙一しかいないだろう。

自分がプロ野球を見始めたのは小学校3年生頃。
巨人戦しかテレビ放送のない時代でONがいた巨人全盛時。ほとんどの子供がGマーク(それしか売ってなかった)の野球帽をかぶっていた。だからほとんどの子どもが巨人ファンで当然自分もそうなった。

その中で巨人キラーと言えば阪神の村山と江夏、大洋の平松、広島の安仁屋、中日の星野仙一だった。だけど星野仙一は豪速球を投げるわけでもない。王選手にはよくホームランを献上していたので完璧に抑えたという印象はうすいけれど、闘志をむき出しにする印象に残る選手だった。。

巨人のV9を止めた中日の大エース。その昭和49年には先発・抑えとフル回転した。そこで星野仙一の存在感は大きくなった。当時のドラゴンズ応援歌、坂東英二が唄った「燃えよ ドラゴンズ!」には星野仙一だけがフルネームである。

〽星野仙一 強気の勝負
松本、渋谷のミラクル投法
鈴木、竹田の快速球
三沢も稲葉も水谷も
いいぞ がんばれ ドラゴンズ
燃えよ ドラゴンズ!

昭和43年のドラフトで巨人指名が確実視されていたが、巨人の一位指名は星野仙一を吹っ飛ばして島野という投手を指名した。星野は「島と星を間違えたのではないか!」というコメントを残したのは有名な話。しかし、その結果星野仙一が対巨人に執念を燃やしたからこそ男星野の後の存在感が際立った。田淵が巨人に入れなかったのと同様にそれが運命だったのだ。その運命を逆バネにして努力した結果が星野仙一の野球人生を決めたのだった。

アンチ巨人の父が仙一ではなく、仙太郎、仙太郎と言っていたのも思い出す。父にそう呼ばれたのもそれだけ印象に残るパフォーマンスをしていたという証であると思う。

有名な宇野遊撃手のヘディング事件。あの中継はボート部の艇庫で見ていたが、星野仙一がグラブを地面に叩きつけて怒りを爆発させたのは強く記憶に残っている。

指導者としてまだまだ日本球界に必要な人材だった。野村克也氏がコメントしたように野球界の大きな損失であり、残念でならない。心からご冥福をお祈り致します。

今日は小学生の頃集めたカルビー野球カードの星野選手を見て、現役時代の思い出に浸ります。
posted by 飯沢ただし at 23:58| 岩手 ☀| Comment(0) | My Favorites 【お気に入り】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする