2017年10月17日

S氏とO氏

中選挙区時代の旧岩手2区で親子にわたって鎬を削ったS氏とO氏。当世からは想像もつかない戦いであったことはS氏の父君の秘書をされた故亀卦川富夫県議からいろいろと教えてもらった一つ一つの事柄はいまだに生々しくも鮮明である。

今回の選挙区割り変更で24年ぶりにわが一関市も花北胆江地区と一緒の選挙区となりO氏はいまだに現役で今回の戦いにも臨んでいる。

私の父や祖父も政治家だったこと、加えて母方の叔父もS氏の支援者だったことで両氏とも私が少年期から関心があった。そして自分が実際に政治の道に入ってからも切れない縁がある。

O氏とは父が新進党に参画してからである。父は県議に当選するには地元の自民党所属県議との戦いに勝利しなければ道は開けず、当時隣町の町長から国会議員に転身した菅原喜重郎氏との連携を探り二度目の挑戦で勝利した。喜重郎氏は当初民社党に所属していたが、新進党の結成により民社党は解党し、O氏が党首の陣笠に入った。それに起因して父も新進党に入党。ほどなく増田知事擁立もあって一気に新進党への期待は高まった。その時の自分も新しい政治の鼓動を感じたほどだった。ところが父は平成7年の統一選挙直後に病魔に倒れ、平成9年の1月に死去。

葬儀までの間にO氏からの弔問はなく、しばらく経ってから初盆を過ぎた頃、地元のO氏の支援者が引き回して我が家に焼香に来られたが、一言も言葉を発せずお帰りになられた。この時の沈黙の時間とO氏に対する私の印象は強烈であった。

その後、私も議員になって及川幸郎議員の葬儀に参列してデジャブーとも思える経験をする。及川幸郎氏は胆沢町出身でO氏を支える大幹部であった。O氏は秋田県で政務があるという理由で葬儀前に焼香して立ち去ってしまわれた。ここで私のO氏の評価は決定的となる。

S氏は叔父が支援者ということで、自然に引き寄せられたという感じであった。加えて初当選で県議会の無所属会派「政和会」への入会とS氏の「無所属の会」立ち上げがほぼ同時期。増田知事との関係も良好で頻繁に会派の懇親会で一緒にさせて頂き、時には厳しいご指導も頂いた。S氏が先鞭をつけられたILCの存在は米国から国務長官特別表彰をされた直後あたりだったか。かなり前からILCについては情報を頂いていた。

葬儀といえばS氏は藤沢町の有力支援者の葬儀には弔辞を捧げ、供養膳の席にも着かれて参列者と共に供養されておられた。

あまりに対極にある両氏の世話になった人への接し方。

政治とは天下国家を論ずる以前に人との関わり方であり、人への思いやりが基本ではなかろうか。
posted by 飯沢ただし at 23:58| 岩手 ☁| Comment(0) | My Diary  【ふつうの日記】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする