私の義父にあたる堀米榮一氏が7月19日に逝去し、7月23日(日)に葬儀ならびに告別式が行われて一週間が経ちます。
昭和29年に歯科医を軽米町に開業し、今年に入って入院するまで現役でした。80歳を越えても自然体で仕事に向かわれていた姿は記憶に新しいです。64年もの間、学校歯科医として勤められ、積極的に児童や生徒の口腔管理に努められました。県歯科医師会のへき地診療車けんこう号で軽米町内のみならず二戸広域にわたりくまなく熱心に回診されたそうです。私と話をする機会は限られていましたが、常に軽米町のことや社会のこと静かな語り口でしたが情熱的にお話されてました。真摯な行動力を発揮して社会発展に貢献されたお義父さんに尊敬の念を表しても言い足りないほどです。
お義父さんのような真面目な正義感溢れ社会に貢献するという意志を持った昭和ひとけたの方々がひとりひとりと世を去って行きます。モノに恵まれて豊かな生活に慣れてしまった私たち世代。いい日本を今を生きる我々が責任を持って次世代につないでいかねばと義父の逝去を通じて強くあらためて感じた次第です。