2016年07月24日

東京都知事選挙

東京都の都知事選挙は選挙戦最後の日曜日が終わり、終盤戦へと突入です。

岩手県民にとっては岩手県前知事の増田寛也氏が立候補していることもあり、関心度が高くなっているようです。現に今日私は一関市内で二つの会合がありましたが、複数の方から戦況について尋ねられました。

都知事選挙は他の候補者の女性問題疑惑が週刊誌で選挙期間中に発行されるなど、さすが首都の首長選挙はマスコミベースの情報量が桁違いに大きいのに驚きです。

増田氏も例外でなく、岩手県知事時代の業績についてのマイナスイメージの露出はものすごいことになってます。増田県政時に批判的だった県議のコメントもネットで氾濫しています。自民・公明推薦ということもあって安倍政権に批判的な勢力から攻撃対象になっているのでしょうが、ここまでやるかと言うほど負のイメージ付をするのかと、正直恐ろしさを感じます。

あまりに増田氏に対して一方的な情報のみが先行しているので、増田県政12年間のうち8年間を議会側から私が見てきた中で、この際私がフォローできる分を紹介します。

1)内向きの役所体質に風穴を開けたこと
増田県政時代を知る県の職員は増田氏に対して評判が決してよろしくありません。しかし、裏を返せばそれだけ職員に目的意識を植え付けて成果主義を求めてきた結果とも言えます。岩手の人は世の動きに対して慎重で石橋を叩いて渡る傾向が強いのですが、分権社会を見据えた責任ある自治に対する増田氏の関心は高く、世の中の動きに敏感であれと自ら常に動きを見せていました。

2)情報公開に熱心だったこと
保守的な風土である岩手県にこの流れをつくりまた。このことは、議会も大いに触発されて政務活動費の情報公開に関しては当時全国でも先駆けて一円からの領収書添付を義務付けた画期的なものに仕上がりました。

3)自治を与る市町村長との連携を密に図ったこと
県要望を形式的に行うことを打破して知事自らが現地に赴く(道路等)要望会を設置するなど、地域の声を聴く姿勢は首長の信頼を間違いなく得ていました。県から市町村への上位下達がはこびっている現達増県政の姿勢とは真逆です。

知事は県役所のトップにおさまることに満足せず、様々な仕掛けを続けたのが増田県政といえます。その結果、職員の資質向上は大きく図られました。

もちろん増田県政の負の部分もあることは十分自分も認識していますが、改革派知事と呼ばれた名に恥じない行動をしてきたことは私は評価したいと思います。
posted by 飯沢ただし at 23:57| 岩手 ☁| Comment(1) | My Diary  【ふつうの日記】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする