今年の東日本大震災津波、合同追悼式は大船渡市で行われました。
昨年の私は野田村で開催した追悼式は大雪のため高速道路が機能せず、盛岡までにも時間通りに辿りつけず断念しましたが、今年は近場でもあるので自力で自宅から国道343号を使って約1時間で現着。
年ごと追悼式を重ねていますが、遺族の悲しみは重ねる日に比例して薄れることは決してなく、この間復興に向けて盛んに工事が行われ、故郷の街が形成されんとする中にあっても思いは複雑に交差する5回目の周年日です。
そんな中でも、式典の中で遺族の方が、娘とのご縁で大船渡が第二の故郷になりましたとの言葉には悲しみを乗り越えようなと前向きに捉えんとする姿に心打たれました。
今朝は朝の臨時の街宣活動で被災地に内陸に住む自分だからこそできることを全力で行うことを決意として述べました。一日も早い被災地復興のためには経済基盤の確立。そのための横軸ルートの整備、ILCの実現。
ハード事業だけではなくソフト対策も頑張ります。
今日の式典に参加して気付いたこと。
「心ある政治家ならば献花の花でも心を込めて受け取りたい。」
私はそういう政治家を目指します。