
享年87歳。私が最後にお見かけし、声をかけて頂いたのは昨年秋の千厩敬老会でした。まだまだお元気そうでしたのでこの度の突然の訃報には驚きました。
私も一期4年(平成11年から15年まで)御一緒させて頂きました。親と子ほどの年齢差、4期と1期の期数差にもかかわらず懇切にご指導を頂戴しました。議員としてというよりも人生の先輩としていろいろなお話や行動を目にし勉強させて頂きました。
温士先生は昭和62年に県議会議員に初当選され、当時の東磐井選挙区は定員3人で、すべて3人とも新人当選でした。藤沢の岩渕信郎先生、千厩の菅原温士先生、大東は私の父、飯澤忠雄です。3人とも町議会の正か副の議長経験者でしたので、当時の政治に対する時代感が想像できます。当時の3人がすべて鬼籍に入ったことは世の流れを感じます。数えてみればあれから約30年経ったのですね。
自分に正直で、全く表裏の無い方でした。語気を強めてまとめる力を発揮された一方、折に触れて優しい声をかけてくれる心配りのある穏やかな一面を持つ魅力的な方でした。
記憶しているお話で記憶しているものは
「この答えわかる人いますか?正解者にはナショナルのカラーテレビ。」
「私からタバコをもらう人はありがたいですよ。なんたって温士(恩賜)のタバコですから。」
「今日は宮廷式の乾杯をします。知ってますか、グラスとグラスをぶつけるのはグラスの中にいる悪魔を追い払うためなんですよ。心を清めながら乾杯します。」
茶目っ気があり人を喜ばせることも大好きでした。
あっそうそう。特別委員会室の最後列からの温士先生のヤジは会議時間短縮に大きく貢献しましたね。「いづまで長々やってんだ〜」当時はベテラン議員の存在に重みがあった時代。今の時代は委員長が注意しても言うことを聞かない議員がいますからね。マイリマスヨ、本当に。
もう温士先生の温容に触れることは出来なくなりましたが、先生との思い出を大事にしながら、私自身も郷土の発展のために精進致します。どうぞ安らかにお眠り下さい。