かつては冬の五輪も夏と同時に行われていましたが、冬のリレハンメル大会から中間年に置かれることになりました。1992年のアルベールビル五輪から1994年のリレハンメル五輪の間は2年だけになり、当時日本の男子複合陣は世界でもトップクラスでしたから、この期間短縮のタイミングをも味方にして見事に複合団体で連続金メダルを達成しました。

4年前も2月29日にオリンピックに関わる記事を書きましたが、4年前の状況と比較すると今回のリオ五輪は今の時期になっても不安要素が満載で、整備が進まない会場建設、そして追い打ちをかけるようにジカ熱の脅威の拡大です。はてさて大会も円滑に進むのやら直前になってもやきもきすることになるのでしょうか。
4年前は記憶にあるメキシコシティ大会とミュンヘン大会について書きましたが、今回は順番に1976年のモントリオール大会の思ひでをば。
何と言ってもこの大会はナディア・コマネチでした。

後に白い妖精とも呼ばれ、同年代の男子の心を鷲づかみにしました。同級生の〇君は「コマネチ!コマネチ!」と熱狂していたのを思い出します。
私は日本体操の団体五連覇(ローマ⇒東京⇒メキシコシティ⇒ミュンヘン⇒モントリオール)が印象に残っています。チームの柱だった笠松選手が直前で虫垂炎で離脱、藤本選手も途中離脱、日本は一人もミスを出せないという苦境を乗り越えて達成した偉業です。最後の鉄棒演技者の塚原選手がムーンサルトを成功させた瞬間に金メダルが決まるという劇的なものでした。日本の体操団体はこの後中国の台頭などもあり低迷し、再び金メダルの栄冠を手にするのは28年後の2004年のアテネオリンピックまで待つことになります。

スポーツ庁が創設されて間もないですが、2020年の東京五輪にどのようにつなげていけるか、結果と過程がいつもの五輪イヤーよりも注目されます。