2015年11月25日

北の湖の思い出

大相撲中継は場所がはじまると必ず祖父が見ていたので、自然に見るようになりました。そのおかげで晩年ではありましたが大横綱の大鵬や現役で急逝した玉の海の雄姿も良く憶えています。

大鵬引退後、北の富士や琴桜が横綱になりましたが、大鵬のイメージが強すぎて何となくしっくりこなかった。そんな中で新星のごとく出現してきたのが怪童、北の湖。

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土俵上のふてぶてしさと、左四つからの強力な寄りの圧勝の快進撃はまさに大横綱の再来でした。(そういえば写真のそんきょの姿は佐藤正春先生のご長男、一年先輩の硬野の佐藤太郎氏がよく形態模写をしてました)雲竜型の土俵入りを見てるだけで威圧感が半端ではありませんでした。

私は当時、初代貴乃花や魁傑を応援していたので、よく言われる「憎らしいほどの強さを」実感していました。しかし土俵の姿とは裏腹に毎日小学生新聞に北の湖の生い立ちを紹介する記事があって(我ながらよく思い出した)中学校の修学旅行には体調が崩れるという本人自身の判断で行かなかったというのを読んで、プロ意識は相当なものがあるのだなと意外な一面を知ることになりました。

引退後は相撲協会の運営を支え、理事長職も2度も務めることになりましたが、現役時代の華々しさ(御本人は横綱の責任を果たすことは辛かったと言っていたそうだ)とは真逆な不祥事の後始末に追われることが多かったですが対外的には内部には気配りができ、外部には強面の北の湖の存在感が角界では貴重な存在だったと私は見受けます。

北の湖理事長が急逝されて、私は昭和の大相撲の思い出が欠け落ちていくような気がしました。それだけ北の湖が持っていた存在感は想像以上に大きかったのだと思います。忍耐・我慢・辛抱、大相撲が持っていたイメージも変わりつつあります。社会の変化に対応していくのも必要ですが、大事なものはしっかりと守ってほしい。横綱が猫だましをするような大相撲では一気に魅力が失せてしまいます。

中学生の頃にちょっと気になる同級生から「私は北の湖のファン」と聞いた時に当時何で!と複雑な思いをしたのを思い出しましたが、今こうして北の湖が急逝して評価が日に日に高まるのをみるとやはり異性から見る男性像の方が正しい見識なのかもしれませんね。
posted by 飯沢ただし at 23:47| 岩手 ☔| Comment(0) | My Favorites 【お気に入り】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする