2015年06月29日

藤沢町で県政報告会

有権者の皆様と約束している年に一度は必ず行う「県政報告会」。
4月に行われる予定であった藤沢町での報告会を昨日実施しました。

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いつもは夜に行う報告会、藤沢では初めて休日の昼に実施しましたが、多くの方々にお集まりいただき感謝申し上げます。

質疑・意見交換の場では、選挙も近いことから知事選の情勢にも関心が高まってきていることを感じ取れました。ILCの実現の可能性、結婚対策、県境南端地域の県政施策の状況と課題について中身の濃いやりとりができました。

これでひととおり予定されていた地域ごと(後援会支部ごと)の報告会は終了しましたが、ぜひとの要望がありましたら喜んで馳せ参じますのでよろしくお願い致します。
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2015年06月26日

現場の声をいかに掬うか

昨日、今秋の知事選挙に立候補を予定している平野達男氏を支える「平野たつおを支援する会」の設立準備会集会が盛岡市内で開催されました。

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現職県議団を代表して佐々木博氏、自民党岩手県連を代表して工藤勝子氏、いわて県民クラブを代表しての小田島峰雄氏、それぞれの応援の弁はそれぞれの味が出て感動的なものでしたが、なかでも遠野市長である本田氏の祝辞は、達増県政と県内自治体の首長との関係について率直にその現状と問題点を述べられました。

今日の朝刊では報道されなかったのでその内容を記すと

・東日本大震災発災時に県へ対応策、要望、改善策を投げかけたが一向にレスポンスがなかった。
・県と市町村とのコミニュケーションが同じテーブルで取れていない。水平的な関係とは言い難い。(特に直接的な知事との突っ込んだ対話はほとんどない)。
・今の県政は変えていかねばならない。トップリーダーを変えなければ変化はありえない。

本田市長は元県職員でもあり、県行政の在り方にも関心なしではいられないという気持ちがひしひしと伝わってきました。

ここまで本田市長が問題点を言い切らねばならないのが、今の県政の課題が深刻であるということです。

平野氏は遠野市に発災時から即時に、現場に足を運び耳を傾けてくれた対応をしてくれた、その信頼感が応援の弁の熱として伝わってくる内容でした。

こうした県内の自治体からの実態の声をこれからももっともっと大にして県内の有権者に伝えていかねばならないと再認識した日でもありました。

平野氏の決意も弁もこれまでになく、具体的でいい内容でした。
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2015年06月25日

寛容の心が人を惹きつけるのだ。

今日から今任期最後になる6月定例議会が開会しました。
7月1日から始まる本会議一般質問にはいわて県民クラブから渡辺幸貫議員と佐々木努議員の奥州選挙区勢が登壇します。厳しくも建設的な質問になろうかと思います。どうぞご注目下さい。

今日は知事の定例記者会見があり、岩手県医師連盟(岩手県医師会の任意の政治団体)が知事選で平野達男氏を推薦したことに記者からコメントを求められ「(達増知事を支援する)希望郷いわてを創る会は県政の与党であり、達増県政与党に与しない団体は県民理解は得られない。」との発言をしたと聞きました。

県民党を名乗る御本人が、このような発言をすること自体首を傾げるものですが、この発言は本人の自信の表れと理解すればいいのでしょうか?

こうした発言は敵味方の区分をはっきりさせることを自ら発しているようなもので、県民にも多様な考えや政治観を持った人が沢山いらっしゃるわけですから、オール岩手を強調するトップリーダー自らがこのような発言を公然とするようではオール岩手の言葉の軽薄さが際立ちますし、将来の岩手県が思いやられます。
いわばリーダーの言行不一致というやつです。

医師会の皆様もこの発言を聞いたらさぞ驚かれるでしょう。

私のこれまでの50年余の短い人生の経験からリーダーは時として寛容に時として厳しく、情に厚くなくては人は付いて来ません。

トップリーダーが自分軸でしか物事を判断できない。自分に与さない人たちを排除する。
まったく私のリーダー観とはかけ離れています。
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2015年06月24日

グローバル社会に即応した自治体の挑戦



ここまで具体的な自治体の事例は今まで聞いたことがない。
日本の良質な文化に接して日本人以上に日本文化に心酔する外国人も最近は多い。

本県はILCを基軸にした国際科学研究都市を目指しているのだから
これまで受け入れ、待ちの姿勢から一歩踏み出して記事のような取り組みも一考かもしれない。

はたして本県の大連事務所やソウル事務所はどのような位置づけで機能させているのだろうか。
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2015年06月23日

日韓国交正常化50年にあたり

本県の代議士であった椎名悦三郎氏が日韓国交正常化に大きな役割を果たしたことは有名であるが、あらためてその偉業を50年という節目で振り返ることも重要と考え、以下のコラムを引用します。

外相就任、日韓国交正常化成し遂げる
「飄逸とした仕事師」椎名悦三郎
政客列伝 日本経済新聞社 特別編集委員・安藤俊裕

 1963年(昭和38年)、民政移管に成功した朴正熙大統領は日韓交渉を早期に妥結させ、日本の資金協力によって韓国の経済発展を進める強い決意を固めた。昭和39年7月には丁一権内閣を発足させ、外務部長官には39歳の側近・李東元を起用して体制を整えた。米国も極東の安定のために日韓の早期和解が望ましいとして、陰に陽に両国に日韓交渉の妥結を働きかけていた。

 日韓間の残る懸案は基本条約問題だった。日韓併合条約について韓国は「当初から違法・無効」と主張し、日本は「昭和20年に無効になった」との立場だった。韓国政府の管轄権についても韓国は「朝鮮半島全域を管轄する唯一の合法正当政府」と主張し、日本は「北緯38度線以南」との立場だった。こうした問題は両国のメンツや国民感情が絡んで大きな政治決断が必要だった。

 日本では昭和39年9月、池田首相が喉頭がんで入院し、10月25日に退陣を表明した。後継首相には自民党の川島副総裁、三木幹事長の党内調整の結果、佐藤栄作が指名された。佐藤首相は官房長官を鈴木善幸から橋本登美三郎に代えた以外は全閣僚を留任させた。臨時国会の所信表明演説で佐藤首相は日韓交渉の早期妥結方針を明らかにし、椎名外相は早期訪韓を実現して決着を急ぐ意向を表明した。

■金浦空港で「深く反省する」と声明

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 椎名外相の訪韓は1965年(昭和40年)2月17日から4日間と決まった。椎名はこの訪韓で一気に基本条約の仮調印にこぎ着けることをめざした。韓国内の日韓条約反対の世論は険悪で、これが朴政権を苦しめていた。日韓交渉のカギは険悪な韓国世論をどう緩和するかであった。昭和35年、戦後初めて訪韓した小坂善太郎外相は過去の植民地支配について「極めて遺憾」と表明したが、韓国世論は凍り付いたままで小坂外相は冷たく迎えられ、成果を得られず帰国した。

 椎名外相訪韓では空港に到着した際のステートメントで過去の日韓関係にどう言及するかについて外務省内でもさまざまな議論があった。椎名は出発の直前に「深く反省する」との文言を入れることを政治決断した。これが椎名訪韓成功の大きな決め手になった。2月17日、「椎名訪韓阻止」を叫ぶ全学連デモ隊と警官隊の小競り合いの中を椎名外相は羽田空港を出発した。金浦空港に到着すると歓迎式典で椎名は用意していたステートメントを淡々と読み上げた。「両国間の永い歴史の中に、不幸な期間があったことは、まことに遺憾な次第であり、深く反省するものであります」

 椎名のステートメントは韓国世論の沈静化に大きな影響を与えた。空港から宿舎の朝鮮ホテルに入る際に大勢の反対デモが押しかけていたが、大きな混乱はなかった。表敬訪問に訪れた丁一権首相も李東元外相も椎名のステートメントを高く評価した。17日夜の李外相主催の歓迎レセプションでは欧米の駐韓大使もこぞって椎名ステートメントを歓迎した。

 レセプションには韓国記者団も大勢来て「反対デモの感想は」と椎名に尋ねた。椎名は「(韓国紙の)夕刊の反対デモの写真を見てびっくりした。反対デモの先頭にオレがいるんだものな」と答えた。韓国の野党リーダーである尹●(さんずいに普)善元大統領と椎名は風貌がそっくりだった。韓国記者団は大笑いだった。「尹氏と大臣はどちらが年上ですか」という質問に椎名は尹氏の年齢を確かめた上で「それならオレの方が弟分だよ」と答えた。こうしたやりとりも韓国内に伝えられ、韓国世論の緩和に役立った。

18日午前、青瓦台に朴大統領を表敬訪問し、同日午後から李外相と基本条約仮調印に向けて本格的な交渉に入った。帰国を翌日に控えた19日夜に椎名外相主催の返礼レセプションが開かれたが、交渉は妥結に至らなかった。李外相はレセプションの途中で椎名を高級料亭に誘い出し、最後の詰めの交渉に入った。日韓併合条約の有効性や韓国政府の管轄権はどこまで議論しても平行線だった。椎名はこれらの問題は玉虫色にして事実上棚上げして妥結を図るほかないと李外相の政治決断を求めた。

 最後までもめた韓国の管轄権については韓国に関する国連決議の案文を参考に玉虫色の表現にすることで落ち着いた。竹島領有権問題も棚上げにした。李外相は「自分の授権範囲を超えている問題もあるから大統領の承認を得ないと」と言い出した。朴大統領はこの日、鎮海湾に停泊中の軍艦に泊まっていた。椎名はすぐに軍艦の中の大統領に連絡するよう李外相に求めた。朴大統領の承認が伝えられたのは20日午前1時であった。椎名はそれから宿舎に戻って外務省の随員と打ち合わせて床についたのは午前3時だった。

 椎名外相は20日午前5時半に起床し、パジャマ姿のまま、佐藤首相、川島副総裁、三木幹事長、橋本官房長官に相次いで電話して交渉妥結を報告し、基本条約仮調印の承認を求めた。佐藤首相は「それで国会答弁は大丈夫か。野党の攻撃はかわせるか」と尋ねたが、椎名は「国会答弁は私が全責任を負うから心配はご無用だ」と答えて佐藤の承認を取り付けた。同日午後2時、椎名外相と李外相は日韓基本条約に仮調印し、午後3時半に椎名は金浦空港を立って予定通り帰国した。

 基本条約の仮調印で残る懸案についても日韓交渉と国内調整は一気に進展した。椎名外相は請求権問題で無償3億ドル、有償2億ドルのほか1億ドル以上とされた民間協力の規模を3億ドルとし、漁業協力について4000万ドルとする腹案をまとめて3月20日の佐藤首相、田中蔵相、赤城農相との4相会談に臨み、すべての了承を取り付けた。特に田中蔵相は大蔵事務当局の不満を抑えて「これは大きな政治問題だから」と椎名提案にすぐに了解の署名をした。田中は椎名の兄貴分の川島副総裁と親密だったが、椎名も田中の決断の早さを高く評価していた。

 この結果、4月3日、日韓両国外相は東京で請求権、漁業、在日韓国人の法的地位の3懸案について協定に仮調印した。椎名は同年6月の内閣改造でも外相に留任し、6月22日、東京で日韓基本条約、及び関連協定が両国外相によって正式に署名調印され、戦後の最大の外交懸案の一つだった日韓国交正常化がようやく実現した。残るのは国会の承認手続きであった。北朝鮮一辺倒の社会党、共産党は院外の反対デモと呼応して徹底抗戦を試み、国会審議は大荒れになったが、蔵相から自民党幹事長に転じた田中角栄の豪腕によって同年12月8日に承認手続きは終了した。

 昭和40年12月18日、ソウルで日韓条約の批准書交換式典が開かれ、戦後初めて韓国内で君が代が演奏された。普段は冷静な椎名もこの日は顔を上気させて韓国首脳と固い握手を交わした。日韓国交正常化を成し遂げた椎名悦三郎は一躍、名外相として内外にその名を高めた。


当時の緊迫した交渉過程が伝わる内容です。すでに両国間の請求問題は当時の条約で取り決められていることなどはしっかりと事実を認識する必要があります。北朝鮮一辺倒の政党の院外の反対デモと呼応して徹底抗戦とは隔世の感がありますね。

椎名悦三郎氏の粘り強くも交渉の勘所をつかんだ対応には、政治家としてあるべき姿が打ち出されています。
今の国会議員でこれだけの仕事をする人はどれだけいるのでしょうか。
posted by 飯沢ただし at 00:28| 岩手 ☁| Comment(0) | My Diary  【ふつうの日記】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月22日

FIFA 女子ワールドカップ 頑張れ!ニッポン

朝一の放送しか今回はゲームをじっくり見れませんが、関心をもって毎日過ごしております。
今大会も日本は決勝トーナメントに進出。いよいよ明後日オランダと対戦します。男子のオランダは比類の強さですが、女子も恵まれた体格を利して近年実力を上げてきているとのことで油断はできません。

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宮間選手の精度の高いキックには評価が高いものがありますが、私が注目するのは彼女のキャプテンシー。
沢選手は自らのプレーで他の選手を牽引する力を持っていますが、宮間選手はコミニケーションも十分に図りながらチームをまとめ上げています。一戦必勝で力を出し切ってもらいたいです。

上の写真のキャッチコピーは何やら自分の置かれている状況にも似ています。
今秋の闘いもチームワークで乗り切りたいと思います。
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2015年06月21日

涙ぐましい羊頭狗肉策

現職知事が選挙公約を発表したらしい。
今さら出すのもおかしい話だ。普通なら現職は出馬表明の時に問題意識とともにエッセンス集くらい出すのがマニフェスト標準装備となっているのが時代の流れだろうし、当然であろう。

詳細なコメントは避けるが、新聞記事で見る限り産業振興となる柱が見えない。「三陸防災博」の開催などは論外。こちらも対抗馬を支援している関係上詳細なコメントはこれ以上書かない。

「それにしても県民党として闘う」との発言とは裏腹に国政政党与野党対決に持ち込んでいる図式は何なんだと言いたくなる。まさに選挙目当ての目くらましの「県民党」か?マスコミはそちらの図式が記事としては分かりやすいのだろうが、平野氏に出馬要請をした我々「いわて県民クラブ」は国政政党の与党でも野党でもない。

大体にして今の知事の力量が不足しているのを議会で指摘し続けたのは我々であり、今の知事のままでは県民利益を著しく損なうと判断したが故に平野氏に出馬要請をした。今回の知事選に国政政党の都合などを持ち込んで欲しくないのが私の個人的な意見である。

理屈は後からついてくる。とりあえずは遮二無二選挙の勝利という意思が最近見え隠れする。
いずれにしても筋の通らない「県民党」は有権者の理解は得られないであろう。
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2015年06月18日

県南広域振興局との懇談会

久々の更新です。
お世話になった方の急逝もあり、落ち着いて文章を書く気にはなれませんでした。
国会でも18歳にも投票権を与える法律が通ったり動きがいろいろあり、思うところがありますが、少しづつ書いていきたいと思います。

今日は4月の人事異動後に行われる県南広域振興局の幹部職員と県議と恒例の意見交換会。
県南振興局は守備範囲が広く、一関選挙区の議員とは最後とのこと。

以前は県南局だけ企画理事という特別職が付与されたこともあり、注目をされていましたが、現在は企画理事職も外され、また概ね局長は2年で人事異動となることから事業も前年踏襲型に推移しがちとなった感がある広域振興局体制。

案の定、一関地方が有する県境振興策については最近は成果も乏しく、その基本的な考え方を質したところかなり答弁に窮する内容でありました。

達増知事が県境に位置する地域には特段の施策を行うとの一期目のマニフェストに書かれた内容も履行された形跡がなく、現在においても反映されていないということが浮き彫りになりました。

時が移れば思いや目的も薄れていく。職員は一生懸命やっているのは理解しますが、完全に振興局を4つに分けた形だけの再編になっているのではないか検証に値すべきと考えさせられる今日の懇談会でした。
posted by 飯沢ただし at 23:53| 岩手 ☀| Comment(0) | My Diary  【ふつうの日記】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月04日

奥州選挙区にて合同街宣

6月に入り選挙ムードが高まってきた感じがひしひしと。
昨日は奥州市水沢区の国道4号水沢東バイパス、四丑橋西交差点にて、いわて県民クラブの現職議員3名で合同街宣を実施しました。この3人で同時にマイクを持つのは初めてです。

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まずは私が通常行っている県政のトップリーダーの実情と課題について一発。

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佐々木努議員からは人口減少問題、地域医療対策、高校再編問題について持論を切々と展開され

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渡辺幸貫議員からは造詣の深い農業問題や教育問題について地域の課題を踏まえて訴えました。

もちろんいわて県民クラブが平野達男氏を押し出している理由も明確に述べて理解を求めました。3人三様の課題としているポイントがあり、一人でやっている時より相乗効果が生まれていると思います。佐々木努議員はウィークデイ毎日この交差点で辻立ちをしていて、いつもより気合が入ったそうです。

政治家たる者、自らの考えや政策を有権者に訴えることこそ必要です。
われわれはなおさら国政政党に属していませんので情報媒体で取り上げられることが少ないというハンデを背負っています。故に「いわて県民クラブ」という政治団体の政策や考えを伝える努力をしていかねばなりません。より一層このような活動が不可欠と私は考えます。

これから水曜日に、このような形式で街宣活動を奥州市地内で行う予定にしておりますので、お見かけの際はどうぞお手を振って激励をお願い致します。
posted by 飯沢ただし at 00:11| 岩手 ☔| Comment(0) | My Diary  【ふつうの日記】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月03日

大東病院を地域で愛する病院に

火曜日は県立大東病院の環境美化の日。
大東地区の婦人会や多くのボランティア団体の皆さんから大東病院の花壇や植栽の手入れをして頂いています。大変ありがたいことです。本当にご苦労様です。

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県立の地域病院の存立については、これまで県議会で議論となった無床化問題や花泉病院の民間移管の破綻など医師不足が課題となっていることの対象になることを避けられませんでした。

しかし、大東地域では地域の方々が立ち上がって大東病院の存続を願いたい思いを環境美化で協力することで行動を起こしています。

地域の人が病院を愛しむ、大事にする⇒病院スタッフも地域の一員として仕事をするという意識が高まる

という、いいサイクルが生まれています。

千厩病院でボランティアが活躍されていることに触発されて、大東地域でも活動がはじまり、多くの方々の理解と助力を頂き、その輪が広まってきています。

大東病院は杉山院長を昨年4月に迎え、地域のニーズに合った地域医療を展開することを目標にしています。
地域病院のモデルとなるように地域と密着した運営が図れるように私も頑張ってまいります。
posted by 飯沢ただし at 13:22| 岩手 ☁| Comment(0) | My Diary  【ふつうの日記】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月02日

月替わりに・・・忘備録

6月になりました。
昨日は衣替えの日でもあり、街宣活動ぬ向かう道すがら学生さんたちの夏服が目に新鮮でした。
県議選が4年前に五ヶ月延期され、本来統一選挙で行われる日程が9月になりました。
選挙前3か月前から逆算すると今は1月になるわけで、この月から暖めてきたエンジンを吹かしはじめねばと自覚させられる月替わりです。

さて当選挙区は平成19年から東磐井選挙区と旧一関選挙区が合区となり定数5の大選挙区となりましたが、私が地盤としている旧東磐井選挙区の有権者数を調べてもらったところ、その現実に愕然としました。

有権者数で約43500人。最近のトレンドである投票率を掛けると実行票は約28300となります。
そこに候補者が現在3人。
対して旧一関選挙区では有権者数が約67000人。実行票は約42000。
そこに候補者が現在3人。
この数の開きはいかんともしがたい事実として冷静に受け止めなければなりません。

また、年度別の旧東磐井地区の候補者が獲得した実行票の推移をみると

昭和62年 43822
平成 7年 38655
平成11年 39244
平成15年 37882

したがって今次選挙は12年前と比較して約10000票も減少することが予想されます。
いかに従来の戦い方の踏襲が通じないかということです。

しっかりとした戦略のもとに進めないといけません。
posted by 飯沢ただし at 01:26| 岩手 | Comment(0) | My Diary  【ふつうの日記】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする