昨日の知事の定例記者会見にて、またまたリーダーとしての資質を問われる発言があった。
秋の知事選挙で立候補を予定している平野達男参議院議員を支持する「開かれた県政を創る会」の議員数が21人に対して達増知事を応援する政治団体が11人と数の開きがあることの所感を記者が問うたところ、
「数では決まらない一般論がある。政策の中身が共有され、同じ方向を向いて数が多ければその方が強い。」と述べた。
この件については私は異論を挟まない。首長選挙では支持議員が少なくてもひとりひとりの議員が一騎当千の活動をして当選した例は山ほどある。数も重要だが、問題は中身である。
問題は次の発言だ。
「21の数の中で少なからずの方が私と(達増拓也氏)と前回希望郷いわて実現を目指すと言って支持を得て当選した。その時と同様なら、その時と同様の力を発揮できるが、正反対の方向を進もうとする時、有権者にどれだけ支持を得られるか分からない。」
さも自分と一緒に選挙を戦った人が達増氏の恩恵を受けて当選できた物言いである。
逆にこのような不遜な発言をしている人が有権者の支持を受けるのか、そちらの方を問いたい。
4年前達増氏を支持した議員が今回は平野氏支持に回る、それはある意味議員が議員の立場で達増県政を評価し、冷静に岩手県の将来を憂い、政治行動を起こしたのであって、4年前の構図と異なる行動をした議員に批判めいた発言をする資格などない。
おおよそ県のトップリーダーたるものがこのような発言を堂々と発信すること自体がおぞましい。
このブログを読んでいただいている読者の皆さん。
これが今の現職知事の実態なのです。このような狭い心で人心掌握ができますか?
よくご理解を頂きたいと思います。
posted by 飯沢ただし at 10:39| 岩手 ☀|
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