昨日は代表質問が行われました。
東日本大震災の影響で前任期が4カ月延長されましたので、選挙も4カ月延長。選挙から半年前となりますのでテレビ中継も可となりました。県政史上初めての改選期前のテレビ中継付の代表質問です。私も経験がありますが、質問者はテレビ中継となるとがぜん張り切るものです。
わが会派は小田島峰雄代表が登壇。
峰雄節炸裂で知事に迫りましたが、
知事答弁はいつもどおりの事務方が用意した答弁読みに終始。
農業振興に対しては自らの情熱なし。
若者や女性の就労企業の確保については具体策なし。
県の経済対策については国の経済対策に影響を受けやすいので、
国で何とかしてくださいと他力本願。
県民党の認識については意味不明。
さらに県民党と自称しているには???となる与党会派に対するリップサービスを展開。
これでは岩手は創造的復興という希望は持てません。
2015年02月25日
2015年02月24日
把握漏れ?! 冗談じゃない!
またぞろ緊急雇用創出事業で県のチョンボが発覚した。
今度は被災地障がいサービス事業所生産活動等支援事業だ。
県は国への制度継続を申請していたが、補助金が延長されないと判断して、新年度予算に盛り込まなかった。その後、国が被災地の事業所に限って1年間延長する方針を示していたのを見逃していた。
この間、雇用する被災者などに来月末の解雇を申し出た施設もあったという。
この件に関して今日の予算説明会の冒頭に保健福祉部長から陳謝があり、この事業については県では継続の方針で、補正予算で対応したい。再発防止策については二重三重のチック体制を敷くとの説明があったところ。
本日行われた本会議における代表質問で同意の知事答弁もあった。
はてさて、何回こうした事案を繰り返し、議会から決算不認定を頂くことになってきたのではなかったのか。
こんな把握漏れとかチェック体制の強化で済む問題ではない。
ましてやお金をつければ終わりよしということにもならない。
問題の本質は、被災地の障がい者の皆さんに対する県の就労支援への考え方や構えがしっかりしていれば、こんな事案は発生しなかった。ということだ。
障がい保健福祉課では就労支援について普段から課内でミーティングもしてなかったのではとも疑ってしまう。もし、普段から問題意識が課内で共通認識としてあれば、国のメニューが終了しそうな見込みであったら県単事業で継続できないかという検討があってしかるべきである。その経過もまったく見えてこない。国への対応も表面ずらだけだったのではないのか。制度継続の感触も取れないのでは行政マンの仕事としては落第の部類である。
もっと問題なのは、一昨年の決算審査で同じく障がい者への就労支援メニューで県は予算の消化に手を余して社会福祉事業団に事業を丸投げし、結局所期の目的を果たせないまま補助金を一部返還し議会から不認定の要因となったことは、すでに喉元過ぎれば何とやら、教訓には全くなっていなかったということにある。
いくら知事が議会からの指摘は真摯に対応すると簡単に言うが、実行がともなっていないことは今回の件で明らかになっており、同じ間違いを繰り返し、県民に多大な迷惑をけていることを認識していないに等しい。
明日からは一般質問も予算審議もある。厳しい議論が展開されることは必至である。
県の復興への姿勢が問われる問題である。
今度は被災地障がいサービス事業所生産活動等支援事業だ。
県は国への制度継続を申請していたが、補助金が延長されないと判断して、新年度予算に盛り込まなかった。その後、国が被災地の事業所に限って1年間延長する方針を示していたのを見逃していた。
この間、雇用する被災者などに来月末の解雇を申し出た施設もあったという。
この件に関して今日の予算説明会の冒頭に保健福祉部長から陳謝があり、この事業については県では継続の方針で、補正予算で対応したい。再発防止策については二重三重のチック体制を敷くとの説明があったところ。
本日行われた本会議における代表質問で同意の知事答弁もあった。
はてさて、何回こうした事案を繰り返し、議会から決算不認定を頂くことになってきたのではなかったのか。
こんな把握漏れとかチェック体制の強化で済む問題ではない。
ましてやお金をつければ終わりよしということにもならない。
問題の本質は、被災地の障がい者の皆さんに対する県の就労支援への考え方や構えがしっかりしていれば、こんな事案は発生しなかった。ということだ。
障がい保健福祉課では就労支援について普段から課内でミーティングもしてなかったのではとも疑ってしまう。もし、普段から問題意識が課内で共通認識としてあれば、国のメニューが終了しそうな見込みであったら県単事業で継続できないかという検討があってしかるべきである。その経過もまったく見えてこない。国への対応も表面ずらだけだったのではないのか。制度継続の感触も取れないのでは行政マンの仕事としては落第の部類である。
もっと問題なのは、一昨年の決算審査で同じく障がい者への就労支援メニューで県は予算の消化に手を余して社会福祉事業団に事業を丸投げし、結局所期の目的を果たせないまま補助金を一部返還し議会から不認定の要因となったことは、すでに喉元過ぎれば何とやら、教訓には全くなっていなかったということにある。
いくら知事が議会からの指摘は真摯に対応すると簡単に言うが、実行がともなっていないことは今回の件で明らかになっており、同じ間違いを繰り返し、県民に多大な迷惑をけていることを認識していないに等しい。
明日からは一般質問も予算審議もある。厳しい議論が展開されることは必至である。
県の復興への姿勢が問われる問題である。
2015年02月22日
2015春の報告会 Vol.2
昨日は予定通り、大東町猿沢地区と興田地区で県政報告会を実施しました。
天候にも恵まれ多くの方々に来場して頂きました。
ILCの実現の確度や現場での農業施策について意見を頂戴しました。
ありがとうございます。1年に1度同じ会場で行っていますが、その都度新しい発見とともに自分の身が引き締まってきます。ましてや今年は選挙イヤーということもありますが。
次回は3月の第2週を予定しています。詳細が決まり次第アップ致します。
どうぞよろしくお願い申し上げます。
【猿沢地区】
【興田地区】
天候にも恵まれ多くの方々に来場して頂きました。
ILCの実現の確度や現場での農業施策について意見を頂戴しました。
ありがとうございます。1年に1度同じ会場で行っていますが、その都度新しい発見とともに自分の身が引き締まってきます。ましてや今年は選挙イヤーということもありますが。
次回は3月の第2週を予定しています。詳細が決まり次第アップ致します。
どうぞよろしくお願い申し上げます。
2015年02月20日
直球とノラクラ
本日の衆議院予算委員会。
昨日の黄川田代議士に続いて本日も本県選出の階(しな)代議士の登場。
ネットでも話題となっている階代議士とNHK籾井会長のバトル。
衆議院の予算委員会で再対決の巻となった。
階代議士の直球勝負に籾井会長のノラクラ答弁。
籾井会長の「野党議員が何言うか」みたいなオーラが感じられて気分がよろしくなかった。
MBKってああいう人材のイメージないのだけれど、自分の認識不足か。
何にしても答弁者の態度がよろしくない。態度は人格となってでるものだ。
階代議士も搦め手の質問が欲しかったなぁ。直球勝負も決して嫌いではないけれど。
最後に
NHKはいい番組作っているのにねぇ。現場の人たちはどういう評価であるのか聞いて
みたいものです。
2015年02月18日
エンジンの限界(知事所信表明演説を聞いて)
東日本大震災の復興には当然、県のけん引力が求められる。
平時ではなく、今も非常時が継続している中で、けん引力=強力なエンジンが必要だ。
そのエンジンも並のものでは用は足せない。
今必要なのは遠くまでエンジン音が響き渡る力強さとトルクも太いやつだ。
なぜなら故郷を去っていかねばならなかった人々に、将来への希望を与えるものでなければならないからだ。
昨日のエンジン音はパタパタと軽くて頼りないものに聞こえた。
庁内で報告事項で済むようなものも成果に上げるようなキャパの小ささだけが目立った。
もっと都合のわるいのは、パタパタとした軽いエンジンである性能に自画自賛している様(さま)だ。
もちろんエンジンは小さくても性能がいいやつも世の中にあることはある。
しょぼくれたエンジンだが、かつては上野ターボという性能がいいパーツがついていた。
しかし何年か前に期限が来たので店に戻された。
別のターボも欲しくても店では買えないしリースもできない。なぜなら店からの信用が薄いと聞いている。
この件だけでなく、今の世でお店の信用がなければ致命的だ。すなわち県民利益に応えられない。
自分は8年間エンジンを間近で見て、音も確かめたが、県民の期待に応えられる性能でないことは当初から疑っていたが最近は確信に変わってきている。
もはやエンジンの限界である。
平時ではなく、今も非常時が継続している中で、けん引力=強力なエンジンが必要だ。
そのエンジンも並のものでは用は足せない。
今必要なのは遠くまでエンジン音が響き渡る力強さとトルクも太いやつだ。
なぜなら故郷を去っていかねばならなかった人々に、将来への希望を与えるものでなければならないからだ。
昨日のエンジン音はパタパタと軽くて頼りないものに聞こえた。
庁内で報告事項で済むようなものも成果に上げるようなキャパの小ささだけが目立った。
もっと都合のわるいのは、パタパタとした軽いエンジンである性能に自画自賛している様(さま)だ。
もちろんエンジンは小さくても性能がいいやつも世の中にあることはある。
しょぼくれたエンジンだが、かつては上野ターボという性能がいいパーツがついていた。
しかし何年か前に期限が来たので店に戻された。
別のターボも欲しくても店では買えないしリースもできない。なぜなら店からの信用が薄いと聞いている。
この件だけでなく、今の世でお店の信用がなければ致命的だ。すなわち県民利益に応えられない。
自分は8年間エンジンを間近で見て、音も確かめたが、県民の期待に応えられる性能でないことは当初から疑っていたが最近は確信に変わってきている。
もはやエンジンの限界である。
2015年02月16日
平成27年の県政報告会を開始
毎年行っている県政報告会を開始しました。
東日本大震災の影響で4年前の選挙が9月に延長されたため、いつもの4月施行の選挙であれば選挙直前の慌ただしい報告会になるのですが、本年も通常ベースでの報告会です。
といっても新聞紙上で連日県議選の立候補表明が記事となっており、地区の皆さんも選挙イヤーの認識が高まっている様子が伺え、例年よりも大勢の方々に来場いただきました。ありがとうございます。
この4期目であった4年間の県議会での動きや、県政課題、特に達増県政の県政運営について多くの時間を割いて報告しました。地元課題についてはILCの現状や県立大東病院や千厩病院、国道343号新笹の田トンネル建設についてお話させて頂きました。2つの会場においても建設的なご意見を頂戴し、それらの課題は2月の定例会にて反映させていきたいと思います。
来週は21日(土)に午前10時から猿沢地区(農村改善センター)、午後1時30分から興田地区(開発センター)を対象に行います。どうぞよろしくお願い致します。
東日本大震災の影響で4年前の選挙が9月に延長されたため、いつもの4月施行の選挙であれば選挙直前の慌ただしい報告会になるのですが、本年も通常ベースでの報告会です。
【渋民地区】
【曽慶地区】
といっても新聞紙上で連日県議選の立候補表明が記事となっており、地区の皆さんも選挙イヤーの認識が高まっている様子が伺え、例年よりも大勢の方々に来場いただきました。ありがとうございます。
この4期目であった4年間の県議会での動きや、県政課題、特に達増県政の県政運営について多くの時間を割いて報告しました。地元課題についてはILCの現状や県立大東病院や千厩病院、国道343号新笹の田トンネル建設についてお話させて頂きました。2つの会場においても建設的なご意見を頂戴し、それらの課題は2月の定例会にて反映させていきたいと思います。
来週は21日(土)に午前10時から猿沢地区(農村改善センター)、午後1時30分から興田地区(開発センター)を対象に行います。どうぞよろしくお願い致します。
2015年02月13日
稲邊寿裕君 ありがとう。
高校の同級生である稲辺君が急逝した。
痛恨の極みである。
出張先の室根町でにわかに体調を崩し、救急車で気仙沼公立病院に搬送されたが帰らぬ人となってしまった。
脳出血だったそうだ。薄れゆく意識の中で稲辺君は何を思っていたのか、想像するだけでも辛すぎる。
今はただただ安らかなる冥福をお祈りしたい。
稲辺君とは同じクラスになったことはなかったが、互いに何か惹かれるものがあったのか、特にサッカー部に移籍してからはラグビー部とは間近で練習していたので会えば声を掛け合う仲であった。思い起こすのは2年時に生徒会役員の選出でなかなか立候補者が揃わず、学年で全体集会を開いた時があった。集会の趣旨とは関係ない話なのに硬式野球部を退部したばかりの彼に、同部の同級生から「戻ってきてくれ。」との意見が相次いだ。それほど稲辺君を必要としていたのだろう。ラグビー部にもサッカー部に入る前に2日ほど体験入部したこともあった。また、3年時のクラスマッチで剣道で私と対戦することになり、接戦で彼が負けた時の口惜しそうな表情は今でも憶えている。会うたびにしばらく経ってからも口惜しいと私に言っていた。
私との関係はむしろ高校を卒業してからである。長男であった彼が一関にもどり急遽市議会議員選挙の補欠選挙に立候補することとなり、市長選挙と同日選挙であったが、見事当選。すでに県議となっていた私もお祝いに駆け付けた。私の2回目の選挙の時には今度は稲辺君が応援に来てくれた。当時は東磐井選挙区だったので有権者は別々であったが、市議会で経験したことを率直に訴えてくれた。「手練手管で議会を支配するような旧態然としたやり方には反対だ。若い我々が風穴を開けよう!」彼らしい言い回しだった。その後も、互いに選挙時はエールを送りあう仲となった。
市議会議員から一関体育協会の事務局長に仕事が変わった。日体大出身の彼には天職となったようだ。「飯沢よ。俺はこっちの方が合ってるよ。仕事が楽しくてしょうがない。」といつも言っていた。「おもせぐねぜこともたまにはあるけどよ。やるしかねぇのさ。」愚痴はこぼさずいつも前向きだった。頼みごとをすると即答で「任せろ!」実に頼りになる男だった。Uドームで行事がある時は必ず事務室に寄って互いに近況報告をしたものだ。電話で体協の新年会の挨拶依頼をされたのが最後となってしまった。新年会では次の予定が入っていたためゆっくりと話もできなかった。残念でならない。
こんないい男があまりにも早く逝ってしまうとは世の不条理を嘆いても嘆きれない。来年は岩手国体、5年後には東京オリンピックが開催される。地元体協が果たす役割の正に要となる人物だったのに。本人が一番無念だったはずだ。
11日に挙行された葬儀では、同級生の佐藤敏彦君(小中高の同級生)と勝浦伸行君(高校サッカー部同級生)が弔辞を捧げた。とても心に沁みる内容であった。同級生も大勢参列し、稲辺君の急逝を悼んだ。体協の佐山会長は稲辺君を失った悲痛の大きさに嗚咽を繰り返し、用意していた弔辞を読むことが出来ずに途中で代読してもらったほどだった。
稲辺君を失った悲しみは簡単には癒すことができそうもない。昨晩も悪夢を見て夜中に起きてしまった。ただご家族の悲しみはどれほどのものか心中察するに余りある。最愛の奥様やご子息がこれから生活していくうえで我々が何らかの形で支援していくことが彼の最大の供養になると思って心に刻んで行動していかねばならないと思う。
稲辺君。君と培った友情は忘れない。
これまで本当にありがとう。天国から変わらぬ笑顔で見守って下さい。さようなら。
痛恨の極みである。
出張先の室根町でにわかに体調を崩し、救急車で気仙沼公立病院に搬送されたが帰らぬ人となってしまった。
脳出血だったそうだ。薄れゆく意識の中で稲辺君は何を思っていたのか、想像するだけでも辛すぎる。
今はただただ安らかなる冥福をお祈りしたい。
稲辺君とは同じクラスになったことはなかったが、互いに何か惹かれるものがあったのか、特にサッカー部に移籍してからはラグビー部とは間近で練習していたので会えば声を掛け合う仲であった。思い起こすのは2年時に生徒会役員の選出でなかなか立候補者が揃わず、学年で全体集会を開いた時があった。集会の趣旨とは関係ない話なのに硬式野球部を退部したばかりの彼に、同部の同級生から「戻ってきてくれ。」との意見が相次いだ。それほど稲辺君を必要としていたのだろう。ラグビー部にもサッカー部に入る前に2日ほど体験入部したこともあった。また、3年時のクラスマッチで剣道で私と対戦することになり、接戦で彼が負けた時の口惜しそうな表情は今でも憶えている。会うたびにしばらく経ってからも口惜しいと私に言っていた。
私との関係はむしろ高校を卒業してからである。長男であった彼が一関にもどり急遽市議会議員選挙の補欠選挙に立候補することとなり、市長選挙と同日選挙であったが、見事当選。すでに県議となっていた私もお祝いに駆け付けた。私の2回目の選挙の時には今度は稲辺君が応援に来てくれた。当時は東磐井選挙区だったので有権者は別々であったが、市議会で経験したことを率直に訴えてくれた。「手練手管で議会を支配するような旧態然としたやり方には反対だ。若い我々が風穴を開けよう!」彼らしい言い回しだった。その後も、互いに選挙時はエールを送りあう仲となった。
市議会議員から一関体育協会の事務局長に仕事が変わった。日体大出身の彼には天職となったようだ。「飯沢よ。俺はこっちの方が合ってるよ。仕事が楽しくてしょうがない。」といつも言っていた。「おもせぐねぜこともたまにはあるけどよ。やるしかねぇのさ。」愚痴はこぼさずいつも前向きだった。頼みごとをすると即答で「任せろ!」実に頼りになる男だった。Uドームで行事がある時は必ず事務室に寄って互いに近況報告をしたものだ。電話で体協の新年会の挨拶依頼をされたのが最後となってしまった。新年会では次の予定が入っていたためゆっくりと話もできなかった。残念でならない。
こんないい男があまりにも早く逝ってしまうとは世の不条理を嘆いても嘆きれない。来年は岩手国体、5年後には東京オリンピックが開催される。地元体協が果たす役割の正に要となる人物だったのに。本人が一番無念だったはずだ。
11日に挙行された葬儀では、同級生の佐藤敏彦君(小中高の同級生)と勝浦伸行君(高校サッカー部同級生)が弔辞を捧げた。とても心に沁みる内容であった。同級生も大勢参列し、稲辺君の急逝を悼んだ。体協の佐山会長は稲辺君を失った悲痛の大きさに嗚咽を繰り返し、用意していた弔辞を読むことが出来ずに途中で代読してもらったほどだった。
稲辺君を失った悲しみは簡単には癒すことができそうもない。昨晩も悪夢を見て夜中に起きてしまった。ただご家族の悲しみはどれほどのものか心中察するに余りある。最愛の奥様やご子息がこれから生活していくうえで我々が何らかの形で支援していくことが彼の最大の供養になると思って心に刻んで行動していかねばならないと思う。
稲辺君。君と培った友情は忘れない。
これまで本当にありがとう。天国から変わらぬ笑顔で見守って下さい。さようなら。
2015年02月08日
同じ議会人として理解不能です。
退席した理由をあーだこーだと言っているようですが、結局は議会のルールを無視して自分中心で行動しているだけにしか見えない。こういう人が政党の共同代表の立場であるとは常識では考えられません。
2015年02月07日
千年の時を経て歴史の糸は結ばれる
今日もいろいろな会に参加しました。
午後から@北方領土返還要求岩手県大会⇒A岩手県トラック協会一関支部事業者研修会と新年会⇒
B北銀摺沢支店経友会新年会。
午前中には県から2月定例議会に提案予定の条例議案の説明をもらいました。
さて、今日はAの会で興味深い文化講演があり、興味深い内容でしたので、ここに記しておきたいと思います。
演題は「奥州藤原氏と平泉都市圏について」
講師は 一関博物館 館長 兼 東北大学名誉教授の 入間田 宣夫 氏
三項目を中心に講話されました。
1.都市「平泉のにぎわい」
2.葛西氏の五郡二保とは
3.金色堂はなぜ残ったのか
そのうち 2について記しておきます。
平泉は泰衡が鎌倉に攻められ死亡したときに、平泉全体が焼失されたに印象づけられているが、さに非ず。焼失したのは「柳の御所」のみで中尊寺、毛越寺をはじめ平泉の町のほとんどは残った。
奥州藤原氏滅亡後、鎌倉幕府から陸奥国御家人として葛西氏が領主として任命される。
奥州藤原氏が滅亡後も平泉文化生活圏は特別行政区として平泉都市圏として存続した。それが葛西本所五郡二保。
それは江刺・胆沢(伊沢)・気仙・磐井(岩井)・牡鹿の5郡と磐井郡にある興田保と黄海保の2保を指す。
興味深いのは旧東磐井郡のうち千厩町奥玉の奥玉保(京都藤原氏の流れを汲む鎌倉の二階堂氏の所領)と一関市萩荘の高鞍荘(京都藤原氏の荘園)は鎌倉時代は葛西氏の所領に含まれなかった。
物流は北上川を利用することが不可欠であったため、河口部地帯の所領が絶対条件となる。それが飛び地の牡鹿郡。
当時の東北地方の主たる生活文化圏は平泉の中心部の「磐井郡(鎮守府)」と多賀城国府のあった「宮城郡(国府)」の2つのみ。
以上の内容から総合的に考察すると、平泉は鎌倉幕府に攻めれらた時をもって歴史的に断絶している印象ですが、実際のところは藤原三代の栄華のピークは去ったものの中世の文化圏として存在していた。このことは新鮮な発見でした。その史実を未来へと関連付けるともっと楽しくなります。それはILCを実現せんとする主な地域が葛西氏の5郡2保の地域であることです。千年の時を経て「平泉都市圏」は再度光を放つことになるからです。
平泉周辺の歴史をもっと知りたくなりました。
午後から@北方領土返還要求岩手県大会⇒A岩手県トラック協会一関支部事業者研修会と新年会⇒
B北銀摺沢支店経友会新年会。
午前中には県から2月定例議会に提案予定の条例議案の説明をもらいました。
さて、今日はAの会で興味深い文化講演があり、興味深い内容でしたので、ここに記しておきたいと思います。
演題は「奥州藤原氏と平泉都市圏について」
講師は 一関博物館 館長 兼 東北大学名誉教授の 入間田 宣夫 氏
三項目を中心に講話されました。
1.都市「平泉のにぎわい」
2.葛西氏の五郡二保とは
3.金色堂はなぜ残ったのか
そのうち 2について記しておきます。
平泉は泰衡が鎌倉に攻められ死亡したときに、平泉全体が焼失されたに印象づけられているが、さに非ず。焼失したのは「柳の御所」のみで中尊寺、毛越寺をはじめ平泉の町のほとんどは残った。
奥州藤原氏滅亡後、鎌倉幕府から陸奥国御家人として葛西氏が領主として任命される。
奥州藤原氏が滅亡後も平泉文化生活圏は特別行政区として平泉都市圏として存続した。それが葛西本所五郡二保。
それは江刺・胆沢(伊沢)・気仙・磐井(岩井)・牡鹿の5郡と磐井郡にある興田保と黄海保の2保を指す。
興味深いのは旧東磐井郡のうち千厩町奥玉の奥玉保(京都藤原氏の流れを汲む鎌倉の二階堂氏の所領)と一関市萩荘の高鞍荘(京都藤原氏の荘園)は鎌倉時代は葛西氏の所領に含まれなかった。
物流は北上川を利用することが不可欠であったため、河口部地帯の所領が絶対条件となる。それが飛び地の牡鹿郡。
当時の東北地方の主たる生活文化圏は平泉の中心部の「磐井郡(鎮守府)」と多賀城国府のあった「宮城郡(国府)」の2つのみ。
以上の内容から総合的に考察すると、平泉は鎌倉幕府に攻めれらた時をもって歴史的に断絶している印象ですが、実際のところは藤原三代の栄華のピークは去ったものの中世の文化圏として存在していた。このことは新鮮な発見でした。その史実を未来へと関連付けるともっと楽しくなります。それはILCを実現せんとする主な地域が葛西氏の5郡2保の地域であることです。千年の時を経て「平泉都市圏」は再度光を放つことになるからです。
平泉周辺の歴史をもっと知りたくなりました。
2015年02月02日
歴史を掘り起こして継承していく
この磐井地方には各地に歴史の隠れた史実が残っているのですが、実際に住んでいる人が正確に知らないことがよくあります。
昨日お誘いを受けて参加した紙芝居「製鉄の里 大籠キリシタン殉教物語」のお披露目会は大変意義深いものがありました。
主催したのは「みちのく中央磐井市民会議」(松川 誠理事長)。
一関市内の歴史愛好者で組織する会で、年3回ほど紙芝居を用いて研究成果を発表しており、今回で10作目となるそうです。
紙芝居の読み手は内田正好氏が情感たっぷりに務められました。
この紙芝居は市内の小中学校や図書館に贈呈され、地域学習の教材として活用されます。
昨日、記事として書いた後藤さんが無残にも殺害され、宗教の意味深さについては敏感になっていた時期だけに、殉教という重くも深い内容を噛みしめるように聴衆も深く聞き入っていたようでした。
自分もこれまで津和野をはじめ西日本にある殉教地には機会があれば、教会等に寄り知識を得ていましたが、製鉄という技術とセットで布教が進められたにせよ、迫害を受けながらも信仰の道を貫き通したその史実には日本人が持っている潜在的な精神が影響あると感じ、いよいよ関心が深まりました。いつか世界遺産登録を目指している長崎の教会遺跡群を視察してみたいと思った次第です。
また、これまで作成した紙芝居にも興味をそそる題材がありましたので、時間を見つけて図書館に行ってみたいと思います。地域の歴史を正しく知ることは、地域に気持ちを寄せる大きな力となりますので、これからも会の活動に期待したいです。
昨日お誘いを受けて参加した紙芝居「製鉄の里 大籠キリシタン殉教物語」のお披露目会は大変意義深いものがありました。
主催したのは「みちのく中央磐井市民会議」(松川 誠理事長)。
一関市内の歴史愛好者で組織する会で、年3回ほど紙芝居を用いて研究成果を発表しており、今回で10作目となるそうです。
紙芝居の読み手は内田正好氏が情感たっぷりに務められました。
この紙芝居は市内の小中学校や図書館に贈呈され、地域学習の教材として活用されます。
昨日、記事として書いた後藤さんが無残にも殺害され、宗教の意味深さについては敏感になっていた時期だけに、殉教という重くも深い内容を噛みしめるように聴衆も深く聞き入っていたようでした。
自分もこれまで津和野をはじめ西日本にある殉教地には機会があれば、教会等に寄り知識を得ていましたが、製鉄という技術とセットで布教が進められたにせよ、迫害を受けながらも信仰の道を貫き通したその史実には日本人が持っている潜在的な精神が影響あると感じ、いよいよ関心が深まりました。いつか世界遺産登録を目指している長崎の教会遺跡群を視察してみたいと思った次第です。
また、これまで作成した紙芝居にも興味をそそる題材がありましたので、時間を見つけて図書館に行ってみたいと思います。地域の歴史を正しく知ることは、地域に気持ちを寄せる大きな力となりますので、これからも会の活動に期待したいです。