2014年06月19日

仙台藩と盛岡藩の御家騒動

標題は物騒なものですが、実は地元の芦東山記念館の館長講座のタイトルなのです。
館長は岩手大学名誉教授の細井 計(ほそい かずゆ)先生。有名な歴史学者であられます。

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今年は年6回企画されて、講座は定員30名となっていますが、いつもそれ以上の方が集まります。
今回の講座は個人的に一番興味のある内容でしたので、勇んで参加をしました。

仙台藩の御家騒動と言えば、有名な伊達騒動、寛文(かんもん)事件と呼ばれるそれです。
山本周五郎が原田甲斐を中心とした筋書で昭和40年代に有名となった「樅の木は残った」はNHKの大河ドラマでも放映されました。
私は内容はほとんど記憶に残っていませんが、ドラマ嫌いの明治生まれの祖父が熱心にこのドラマだけは見ていたのでけは記憶しています。

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祖父が熱心に見ていたわけは
私の家の祖先は1681年に田村建顕公が岩沼から一関3万石に知行替となった時に田村公と追随して一関に入部したとされ、その原因となった伊達騒動であったからと推察されます。

細井先生は、『肯山公(綱村)治家記録』等の歴史書から読み取ったうえでの解説ですので、教科書を読んで学ぶのとは説得力が違います。伊達騒動のいきさつは概略程度しか知識がありませんでしたので、今回の講義は大変に勉強になりました。

伊達騒動の発端は、3代藩主伊達綱宗が酒と女に溺れ、家臣の諌言を聞き入れなかったのが原因で幕府から逼塞(ひっそく)を命じられたことにあり、為政者が世離れすると社会を乱すということは肝に銘じなければなりません(謎)。

原田甲斐が伊達重宗を斬った酒井雅楽頭(うたのかみ)邸跡地は東京丸の内のオフィス街にあるらしいの後日行ってみたいと思っております。「樅の木は残った」も復習するつもりです。
posted by 飯沢ただし at 23:56| 岩手 ☔| Comment(0) | My Diary  【ふつうの日記】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする