
実力者がひしめいたいた輪島、北の湖が活躍した70年代半ばに、正々堂々とした取り口が印象的な力士だった。自分の魁傑関の一番の思い出は大関をいったんは陥落したが再度大関に返り咲いたことだ。不屈の精神に驚いた。
引退してからも角界を揺るがした野球賭博問題に理事長として批判を恐れず改革を断行した。期せずして理事長になったのも彼以外に解決できる人物はいなかったからだと思う。
「休場は負けと同じ」と徹底した考え方を実践したと聞く。角界には珍しい半端ない読書家だったとも聞く。
魁傑はまさに快傑だった。
66歳の死は早すぎる。