2014年03月15日
人間風車を惜しむ
まだ春の訪れが遠いみちのくでは寒い日が続いており、毎日慶弔欄を見るたびに恐ろしくなります。
そんな中、私のヒーローが寂しくご逝去されておりました。
その方はプロレスラー「ビル・ロビンソン」
外人レスラーでありながら、日本人に支持されたレスラー第一号ではないかと思われます。
昭和40年代初めに国際プロレスで日本のマットに登場するや必殺技のダブルアームスープレックス、別名「人間風車」でちびっ子プロレスファンの心を一気につかんだのです。
テレビで見ていたビル・ロビンソンの試合が組まれた国際プロレスがなんと隣町の千厩町で興業する機会があり、父に連れられて観戦した記憶は鮮明です。昭和44年か45年頃と思います。
サンダー杉山やグレート草津もメインイベントの前でタッグマッチで出ていました。
そしていよいよメインイベント、ビル・ロビンソンの登場。子どもの興奮は一気にボルテージに達します。なにしろテレビで見ているものが目の前で起ころうとしているのですから。
ところが、その試合は開始20分頃までビル・ロビンソンの相手がず〜〜〜っとヘッドロックをしたままで、ビル・ロビンソンも外そうとしない。そして20分経過のアナウンスがされた途端に、ヘッドロックがスポッと抜けて人間風車一発で3カウントで試合終了。
この試合は子供心にも胡散臭さを感じました。省エネマッチに対する怒りです。大人のインチキを初めて知った瞬間かもしれません。
しかし、こうした記憶があるのも父に連れていってもらったことに感謝しなければなりません。
でも、ビル・ロビンソンは今でも私のヒーロー。
人間風車だけでなくクリーンな試合運びはいまでも印象に残っています。心からご冥福を祈ります。