
旬の時期を逃してしまいましたが、2020年のオリンピックゲーム東京開催決定について述べたいと思います。
昭和43年のメキシコオリンピック以来、私はオリンピック大会を常に楽しんできました。戦後のオリンピック開催地はソラで言えるほどオリンピックが大好きです。
先のIOC大会で東京がアジアで初めて2回目の開催が決定されたされたことは、大きな意味があると思います。先ずは2016年で誘致に失敗したことを見事に克服した点について関係者に敬意を表したいと思います。
直前に迫っているソチ冬季大会やリオの夏季大会の準備が至っていないことで委員が大会開催の安定を求めたことも勝因の大きな要因に挙げられていました。「安定」の絶対的評価を得るために安倍首相も奔走しました。そして、懸念材料であった福島原発事故の汚染水問題は「under control」とまで言い切りました。この発言については後日に別の観点から触れますが、相対的評価で安定という観点で選ばれたことは日本国民も素直に受け入れても良さそうです。
さて、今日の本題は2回目の東京オリンピックを我が国はどのような位置づけにするのか、この点は今後多額の財政支出をする上でも目的を明確にしなければならないと思っています。
1964年は高度成長期の初動段階で、国民は東京にインフラ整備を集中することは何ら疑問を感じることはなく、むしろ誇りに思っていたと推察します。市川昆監督の記録映画を見ても当時の東京が近代の街づくりを懸命にしている姿が伺えます。
而して7年後の開催は既存の施設も活用しながらも東京湾内の埋立地に集中新設するコンパクトな運営にするのが特徴とか。それにしてもお金はかかる。資本の分配と意義、地方との格差、とりわけ東日本大震災からの復興、1964年とは明らかに状況は違います。
確かに設備投資マインドは急激に上がって、お金の循環もされるでしょうが、ここで問題になるのは地方との調和の問題。ましてや東日本大震災からの復興にブレーキがかかるようなことは決して許されません。賃金格差から労働力が東京に吸い寄せられる現象は十分に考えられることから、震災復興へのスキーム見直しも考慮しなければならないでしょう。
単なる社会資本整備だけでなく、自然と人間との共生や障がい者にも優しい環境整備、思いつくだけでもこれらのテーマは必須事項であり、このことは東日本大震災からの復興へのテーマと重なり合う部分は多いはずです。
どのような復興を果たされているのか、世界中の人々がオリンピック開催を通じて、その過程までも大いに注目されるだけに、政府や引いては国民もスポーツの祭典だけにとどまらないわが国の将来の姿を真剣に考え、行動する必要があります。