2013年05月31日
ルールは何のためにあるか!
高村氏の「君だって70歳になる」という発言は高村氏らしくないな。
本当だとしたら全く的外れ。
この一件は小泉氏の方が筋が通っている。
野党の存在感が急激に低下し、自民党の優勢ムードである中だからこそ
規律には厳格であるべきだと私は思います。
2013年05月30日
ILCによる相乗効果について
「物流ニッポン」という株式会社物流ニッポン新聞社が発行しているトラック業界紙(一般の方々はほとんど見る機会がないと思います。あたりまえ
)の5月20日号にILCについて私が取材を受けた記事が掲載されましたので紹介します。

高速道路料金の話の一部は吉岡先生の受け売りですが・・・
いずれにしてもILCが実現すれば、物流面でも国際規格がスタンダードになり、東北地域が物流特区になる可能性も十分にあると思います。要は物流の質の転換が迫れることになるのです。


高速道路料金の話の一部は吉岡先生の受け売りですが・・・
いずれにしてもILCが実現すれば、物流面でも国際規格がスタンダードになり、東北地域が物流特区になる可能性も十分にあると思います。要は物流の質の転換が迫れることになるのです。
2013年05月29日
京都遠征レポート「みやこめっせ」

京都市勧業館「みやこめっせ」は、平安建都1200年の記念事業として建設され、平成8(1996)年に開館しました。旧京都市勧業館及び京都市伝統産業会館の役割を継承しており、伝統産業をはじめとしたあらゆる産業界の展示会、イベント、見本市のほか、会議や講演など、多様な用途で利用されています。
指定管理者制度が採用され、株式会社京都産業振興センターが運営しています。4人の営業スタッフが主に中京や阪神方面へも飛び回っているそうです。

蒔絵の実演販売。聞けば学校でも伝統学習の時間で取り組んでいるそうです。

ちょうど看護師の就職・就業フェアの準備中。

京都市内だけでなく関西圏の病院とはいえ、信じられないほど多い医療機関の名前が・・・

最近は大学の入学式や卒業式にも使用するそうで、使用用途の多様化が進んでいるとのこと。
古都、京都にある素材だけに満足することなく、この展示場の能力を最大限に活用した京都の魅力の発信力強化に大いにその威力を発揮していると感じました。
2013年05月28日
京都遠征レポート「陸前高田市から取り寄せた薪について」
京都市文化市民局にご対応頂き、標題の件についての説明を受け、意見交換をしました。

この件は、当時広域ガレキ処理の受け入れについて議論になっていた時期に発生した事案でした。
正確な科学的根拠によるものではない事象が独り歩きをして、ひいては、その風評が広域処理の妨げになることを問題視し、「地域政党いわて」では及川あつし幹事長が中心となって、京都市に対して正しい情報発信を求めて申し入れを行った経緯があります。地域政党京都党にも協力を要請し、市議会においても議論の発信源になって頂きました。
頂いた資料から問題を整理します。
1 経過
(1)平成23年6月、東日本大震災の津波で倒れた陸前高田市の高田松原の松を護摩気として、現地において遺族の思いや被災者の復興等のメッセージを書き入れ、それを京都に送って大文字の送り火で焚いてはどうかとの大分市の美術家の呼びかけに、大文字保存会が受け入れを決定した。
(2)平成23年7月上旬に、この計画を報道で知った市民や近隣府県住民から松の放射線汚染を心配する意見が市や保存会に寄せられた。
(3)同じ頃、東北地方では牛の飼料である稲藁への汚染拡大が世上の問題になっていたこともあって、市民の不安を払拭するため、保存会において放射能検査を行うよう市に要請し、現地において護摩木から検体を採取して、7月末に検査した。その結果、放射性ヨウ素、セシウムは検出されなかった(8月4日)
(4)一方、保存会内部では、検査の実施前から不安の声があり、その不安を払拭できず、検査結果を待たずに送り火として焚くことを中止決定された。(8月3日臨時理事会で決定、翌4日市へ報告。)
(5)中止の報告を受けた市では保存会の決定事項であり、現地協力者の了解も得られていること。また、保存会が迎え火や志納文の書き写しを行うなど丁寧に対応され、現地の思いを届けようと計画されていることを考慮し、中止撤回の要請はしなかった。
(6)保存会での受け入れが中止になったことに、市民、被災者、全国の方々から大変多くの批判、心配の意見が市・保存会に寄せられた。
ということで実際に予定された陸前高田の薪はこの時点で一本も京都まで運ばれていません。
(7)このような状態になっていることを心配した市民や市民団体が何とかしたいという思いから、8月15日に市役所前で開催される「平和・鎮魂のイベント」において、燃やしてはどうかという提案を受けた。護摩木の一部を取り寄せることを要請したが実現しなかったため、民間のプロジェクトと連携を図り、陸前高田市から別の薪500本を取り寄せることとなった。五山各保存会にも協力を要請し、全山から了承を得た。(8月11日)
(8)8月11日に運ばれた薪500本を、念のため放射能測定検査を実施したところ、幹部分からは検出されなかったが、樹皮部分からセシウム1130bq/kgが検出され、少しでも放射能が検出されれば実施しないことにひていたので中止を決定せざるを得なかった。
(9)取り寄せた薪については西京区にある旧機械室において、最終処分方法が決定するまで一時保管している。なお、放射能については、自然界と計測される数値と同程度であり安全に保管している。
ということで当初想定していた護摩木ではない、全く別の薪が京都市役所に届き、念のため放射能検査したところ樹皮に基準値を超えた値が検出されたということなのです。
どうやら京都市や保存会の側から見ると外部からの動きにかなり振り回されたというのが実態なのですが、発信力のある京都市であるが故に市のスタンスが経過の中でブレたことに端を発した諸問題について京都党が京都市会の議会活動の中で厳しく指摘をしています。
京都党2012年5月の緊急声明
被災地からの視点で行動して頂いた京都党の活動と地域政党いわての要請が行政を動かし、
京都市は薪の取扱方針を発表します。
(1)薪は京都市が独自で取り寄せたものであり、京都市の責任において取扱いを決める。五山の送り火で焚くことは考えていない。
(2)セシウムの検出されていない幹の部分を使って、鎮魂、慰霊、復興支援の思いを込めた工芸品を作る。
(京都市長の発案と伺う)
(3)その他の部分についての取り扱いについては、今しばらく時間をかけて検討したい。
工芸品の作製は
〇 学校法人 二本松学院(京都美術工芸大学や京都伝統工芸大学校を運営)
〇 みやこ杣木(そまぎ)(京都市地域産材)の活用で森林の健全化、林業の活性化に取り組むグループの有志
の2団体が申し出をされ作成をお願いすることとなり、


完成した彫刻20体と色紙色立て2点と、他に仏教会から頂戴した色紙6点が昨年の11月8日に陸前高田市に京都市が訪問し、届けています。
さらに彫刻161体が陸前高田市の普門寺に今年の4月に寄贈されました。
関係者の努力の甲斐があってここまで落ちきましたことに敬意を表します、が、いまだに樹皮は機械室に保管されている状態です。
今回の騒動の反省点として京都市からは
@ 騒動になってから、大文字保存会と京都市の距離感を詰めなかったこと。意思の疎通はしっかりとすべきであった。
A 市で取り寄せた薪がどのような状態で来るのか判明するのは不可能であったが、途中でしっかりコミットする必要はなかったか
の発言がありました。
一時期騒動とはなりましたが、結果として陸前高田と京都市の遠距離の中で、被災地の復興を思いながら実現しようとする心の架け橋は築けたと確信致しました。問題の積み残しはありますが、その課題を洗い出し、今後とも互いに協力し、一日も早い復興に務めねばと心を新たにしました。
この後に京都市東日本大震災支援本部から
東日本大震災に係る京都市の支援活動等の報告を頂きました。


この件は、当時広域ガレキ処理の受け入れについて議論になっていた時期に発生した事案でした。
正確な科学的根拠によるものではない事象が独り歩きをして、ひいては、その風評が広域処理の妨げになることを問題視し、「地域政党いわて」では及川あつし幹事長が中心となって、京都市に対して正しい情報発信を求めて申し入れを行った経緯があります。地域政党京都党にも協力を要請し、市議会においても議論の発信源になって頂きました。
頂いた資料から問題を整理します。
1 経過
(1)平成23年6月、東日本大震災の津波で倒れた陸前高田市の高田松原の松を護摩気として、現地において遺族の思いや被災者の復興等のメッセージを書き入れ、それを京都に送って大文字の送り火で焚いてはどうかとの大分市の美術家の呼びかけに、大文字保存会が受け入れを決定した。
(2)平成23年7月上旬に、この計画を報道で知った市民や近隣府県住民から松の放射線汚染を心配する意見が市や保存会に寄せられた。
(3)同じ頃、東北地方では牛の飼料である稲藁への汚染拡大が世上の問題になっていたこともあって、市民の不安を払拭するため、保存会において放射能検査を行うよう市に要請し、現地において護摩木から検体を採取して、7月末に検査した。その結果、放射性ヨウ素、セシウムは検出されなかった(8月4日)
(4)一方、保存会内部では、検査の実施前から不安の声があり、その不安を払拭できず、検査結果を待たずに送り火として焚くことを中止決定された。(8月3日臨時理事会で決定、翌4日市へ報告。)
(5)中止の報告を受けた市では保存会の決定事項であり、現地協力者の了解も得られていること。また、保存会が迎え火や志納文の書き写しを行うなど丁寧に対応され、現地の思いを届けようと計画されていることを考慮し、中止撤回の要請はしなかった。
(6)保存会での受け入れが中止になったことに、市民、被災者、全国の方々から大変多くの批判、心配の意見が市・保存会に寄せられた。
ということで実際に予定された陸前高田の薪はこの時点で一本も京都まで運ばれていません。
(7)このような状態になっていることを心配した市民や市民団体が何とかしたいという思いから、8月15日に市役所前で開催される「平和・鎮魂のイベント」において、燃やしてはどうかという提案を受けた。護摩木の一部を取り寄せることを要請したが実現しなかったため、民間のプロジェクトと連携を図り、陸前高田市から別の薪500本を取り寄せることとなった。五山各保存会にも協力を要請し、全山から了承を得た。(8月11日)
(8)8月11日に運ばれた薪500本を、念のため放射能測定検査を実施したところ、幹部分からは検出されなかったが、樹皮部分からセシウム1130bq/kgが検出され、少しでも放射能が検出されれば実施しないことにひていたので中止を決定せざるを得なかった。
(9)取り寄せた薪については西京区にある旧機械室において、最終処分方法が決定するまで一時保管している。なお、放射能については、自然界と計測される数値と同程度であり安全に保管している。
ということで当初想定していた護摩木ではない、全く別の薪が京都市役所に届き、念のため放射能検査したところ樹皮に基準値を超えた値が検出されたということなのです。
どうやら京都市や保存会の側から見ると外部からの動きにかなり振り回されたというのが実態なのですが、発信力のある京都市であるが故に市のスタンスが経過の中でブレたことに端を発した諸問題について京都党が京都市会の議会活動の中で厳しく指摘をしています。
京都党2012年5月の緊急声明
被災地からの視点で行動して頂いた京都党の活動と地域政党いわての要請が行政を動かし、
京都市は薪の取扱方針を発表します。
(1)薪は京都市が独自で取り寄せたものであり、京都市の責任において取扱いを決める。五山の送り火で焚くことは考えていない。
(2)セシウムの検出されていない幹の部分を使って、鎮魂、慰霊、復興支援の思いを込めた工芸品を作る。
(京都市長の発案と伺う)
(3)その他の部分についての取り扱いについては、今しばらく時間をかけて検討したい。
工芸品の作製は
〇 学校法人 二本松学院(京都美術工芸大学や京都伝統工芸大学校を運営)
〇 みやこ杣木(そまぎ)(京都市地域産材)の活用で森林の健全化、林業の活性化に取り組むグループの有志
の2団体が申し出をされ作成をお願いすることとなり、


完成した彫刻20体と色紙色立て2点と、他に仏教会から頂戴した色紙6点が昨年の11月8日に陸前高田市に京都市が訪問し、届けています。
さらに彫刻161体が陸前高田市の普門寺に今年の4月に寄贈されました。
関係者の努力の甲斐があってここまで落ちきましたことに敬意を表します、が、いまだに樹皮は機械室に保管されている状態です。
今回の騒動の反省点として京都市からは
@ 騒動になってから、大文字保存会と京都市の距離感を詰めなかったこと。意思の疎通はしっかりとすべきであった。
A 市で取り寄せた薪がどのような状態で来るのか判明するのは不可能であったが、途中でしっかりコミットする必要はなかったか
の発言がありました。
一時期騒動とはなりましたが、結果として陸前高田と京都市の遠距離の中で、被災地の復興を思いながら実現しようとする心の架け橋は築けたと確信致しました。問題の積み残しはありますが、その課題を洗い出し、今後とも互いに協力し、一日も早い復興に務めねばと心を新たにしました。
この後に京都市東日本大震災支援本部から
東日本大震災に係る京都市の支援活動等の報告を頂きました。

2013年05月27日
徹底した安全管理を!
このような事故は絶対に起こしてはいけない事故である。
人為的ミスが重なり、社会に迷惑がかかるようなことがあっては断じてならない。
今回の重大なミスは2つと思料される。
@ 想定外の事故に対する対応
A 公表の大幅な遅れ
いずれも危機管理体制の不備に起因する。
危機管理体制については早急に第三者機関を入れて徹底した再構築をすべきである。
何の事故でも事故が起きる要因は、
@ 作業手順を省く
A 危険がどこに存在しているか分からない(危険認知の欠如)
の2つがほとんどである。
基本に立ち返り、関係者には猛省と同時に、このような事故を二度と繰り返さない決意をもって危機管理の整備を望む。
2013年05月20日
京都遠征レポート「Divesity & Tolerance」
17日から19日まで提携を結んでいる地域政党京都党が活動している京都市を訪問し、視察研修と今後の連携策について等の意見交換をしてきました。
また、東日本大震災に頂いたご支援と統一地方選挙の応援の御礼もかねての遠征です。

地域政党京都党の議員メンバーは4名。京都市会(京都市議会)で活動しています。
岩手でも短期間でしたが局地的に話題になった村山祥栄(むらやま しょうえい)代表が党をけん引します。
ちょうど18日に京都党が企画運営している「政治塾」が開催されていて、是非この機会にと事前に村山代表から依頼をされた東日本大震災の現状と課題について私もお話する機会を与えて頂きました。

陸前高田市の具体的事例を上げながら、被災地が抱えている問題と中長期的な課題としてエネルギーの地産地消策をはじめとした産業基盤の創設について地域政党いわてがどのように対応しているのかを中心に話をしました。

私は前座でトリは同志社大学の学長になられた村田晃嗣先生の講義。
村田学長は国際政治学が専門で地域政党京都党の政策顧問でもあります。

「世界から見た京都」というテーマでしたが、オバマ政権や安倍政権の問題点を的確に分析され大いに勉強になりました。特にも日本がGDP2位から転落し、これからBRICs(すでに中国には抜かれた)諸国から次々に抜かれていく近未来を前提にしたを具体的なお話は説得力がありました。
そいういう背景から成熟化した日本が進むべき道は「日本のブランド力」をいかに高めていくことに係っていくとされ、そして、時代に適応した改革なきところに発展はなく、innovation(改革)を起こすには多様な価値観を持った人々を集めること、すなわち
魅力ある都市の形成には多様性と寛容(Devesity と Tolerance)が不可欠の要件である。
日本文化の発信に関しても日本独自のコンテンツだけで満足している現状では進歩はなく、材料を活かす企画と発信させる仕掛け「Context Making」が必要であるとの認識を示されました。
この講義の内容はILCによる国際研究都市のグランドデザインを描くうえでも大いに参考になりました。

議会中にもかかわらず、京都党の現職議員が選挙体験を元にした講師を務めるなど議員もスタッフも精力的な活動を展開している姿を拝見して心洗われる思いに強く打たれた次第です。(自戒と反省を十分に込めて)
また、東日本大震災に頂いたご支援と統一地方選挙の応援の御礼もかねての遠征です。

地域政党京都党の議員メンバーは4名。京都市会(京都市議会)で活動しています。
岩手でも短期間でしたが局地的に話題になった村山祥栄(むらやま しょうえい)代表が党をけん引します。
ちょうど18日に京都党が企画運営している「政治塾」が開催されていて、是非この機会にと事前に村山代表から依頼をされた東日本大震災の現状と課題について私もお話する機会を与えて頂きました。

陸前高田市の具体的事例を上げながら、被災地が抱えている問題と中長期的な課題としてエネルギーの地産地消策をはじめとした産業基盤の創設について地域政党いわてがどのように対応しているのかを中心に話をしました。

私は前座でトリは同志社大学の学長になられた村田晃嗣先生の講義。
村田学長は国際政治学が専門で地域政党京都党の政策顧問でもあります。

「世界から見た京都」というテーマでしたが、オバマ政権や安倍政権の問題点を的確に分析され大いに勉強になりました。特にも日本がGDP2位から転落し、これからBRICs(すでに中国には抜かれた)諸国から次々に抜かれていく近未来を前提にしたを具体的なお話は説得力がありました。
そいういう背景から成熟化した日本が進むべき道は「日本のブランド力」をいかに高めていくことに係っていくとされ、そして、時代に適応した改革なきところに発展はなく、innovation(改革)を起こすには多様な価値観を持った人々を集めること、すなわち
魅力ある都市の形成には多様性と寛容(Devesity と Tolerance)が不可欠の要件である。
日本文化の発信に関しても日本独自のコンテンツだけで満足している現状では進歩はなく、材料を活かす企画と発信させる仕掛け「Context Making」が必要であるとの認識を示されました。
この講義の内容はILCによる国際研究都市のグランドデザインを描くうえでも大いに参考になりました。

議会中にもかかわらず、京都党の現職議員が選挙体験を元にした講師を務めるなど議員もスタッフも精力的な活動を展開している姿を拝見して心洗われる思いに強く打たれた次第です。(自戒と反省を十分に込めて)
2013年05月14日
創造的復興の道を求めて
本日、東日本大震災津波復興特別委員会で陸前高田市を視察していきました。
市庁舎に行く前に「大隅つどいの丘」にある仮設店舗の店で昼食。復興グルメF-1大会に出場した店、その名は「わいわい」。市内各地にこのような仮設店舗が増えていました。

市庁舎で
(1)商工業の復旧状況 (2)被災市街地復興土地区画整理事業
(3)災害公営住宅建設事業(4)防災集団移転事業について説明を受けました。

報道されているとおり、戸羽市長から平時の枠組みでの行政のやり方(特に国の法執行)によって住民と密接している市行政がその間でご苦労されている実態を明らかにされました。

私からは産業再生と新産業の植え付けによる中長期的な戦略について質問と意見を述べました。
市長から、もっと広域的な視点で大胆な産業育成策を講じて欲しい(市単体の行政力では足らない)との強力な要請を受けました。

かつてお話を聞いていた再生エネルギー基地の件については、国のエネルギー政策がこの先どうなるのか不透明なために思い切って踏み出せない状況にあるとの市長の心情を吐露。

災害公営住宅の建設予定地に移動。オール山砂を利用してかさ上げ。
奥に見えるは高田小学校で一階部分まで波に浸かったとの説明。
ちなみに陸前高田市では山を削って生まれる土がかさ上げで市内で利用しても600万トンも過剰になると積算されており、その処理は今後の大きな課題。すでに隣県と協議をしているとのこと。

公営住宅は12mにかさ上げされた場所に建設。一階部分は住居にしないとのこと。これにより14mの津波は避けられるとの説明。

津波堆積物85万トンの土壌改良プラントも視察。大船渡市は10万トンで、いかに陸前高田市の被害が甚大であったかが判る。

この道路の先は、かつてはJR陸前高田駅。
被災前には道の両側は商店街があり、そこに人々の暮らしと賑わいがあった場所。
私も同じようなロケーションに住んでいるので、何とも言えぬ辛い思いがこみあげる。

白く立ち込めている雲は「やませ」の冷気で、気温はぐんぐん下がり帰りの頃の16時には気温10℃。
そして17時に帰宅した時に気温は23℃。この気温差に驚きます。
陸前高田市の市庁舎は久しぶりで訪問しましたが、今回の視察で2年をかけてようやく復興の入口まできたかとの印象です。これから先も被災地自治体の努力をしっかりサポートする環境整備(法整備、産業振興のグランドデザイン)を強力に進めていく必要性を痛感しました。
市庁舎に行く前に「大隅つどいの丘」にある仮設店舗の店で昼食。復興グルメF-1大会に出場した店、その名は「わいわい」。市内各地にこのような仮設店舗が増えていました。

市庁舎で
(1)商工業の復旧状況 (2)被災市街地復興土地区画整理事業
(3)災害公営住宅建設事業(4)防災集団移転事業について説明を受けました。

報道されているとおり、戸羽市長から平時の枠組みでの行政のやり方(特に国の法執行)によって住民と密接している市行政がその間でご苦労されている実態を明らかにされました。

私からは産業再生と新産業の植え付けによる中長期的な戦略について質問と意見を述べました。
市長から、もっと広域的な視点で大胆な産業育成策を講じて欲しい(市単体の行政力では足らない)との強力な要請を受けました。

かつてお話を聞いていた再生エネルギー基地の件については、国のエネルギー政策がこの先どうなるのか不透明なために思い切って踏み出せない状況にあるとの市長の心情を吐露。

災害公営住宅の建設予定地に移動。オール山砂を利用してかさ上げ。
奥に見えるは高田小学校で一階部分まで波に浸かったとの説明。
ちなみに陸前高田市では山を削って生まれる土がかさ上げで市内で利用しても600万トンも過剰になると積算されており、その処理は今後の大きな課題。すでに隣県と協議をしているとのこと。

公営住宅は12mにかさ上げされた場所に建設。一階部分は住居にしないとのこと。これにより14mの津波は避けられるとの説明。

津波堆積物85万トンの土壌改良プラントも視察。大船渡市は10万トンで、いかに陸前高田市の被害が甚大であったかが判る。

この道路の先は、かつてはJR陸前高田駅。
被災前には道の両側は商店街があり、そこに人々の暮らしと賑わいがあった場所。
私も同じようなロケーションに住んでいるので、何とも言えぬ辛い思いがこみあげる。

白く立ち込めている雲は「やませ」の冷気で、気温はぐんぐん下がり帰りの頃の16時には気温10℃。
そして17時に帰宅した時に気温は23℃。この気温差に驚きます。
陸前高田市の市庁舎は久しぶりで訪問しましたが、今回の視察で2年をかけてようやく復興の入口まできたかとの印象です。これから先も被災地自治体の努力をしっかりサポートする環境整備(法整備、産業振興のグランドデザイン)を強力に進めていく必要性を痛感しました。
2013年05月13日
原子力再処理事業に大きな影響が・・・
記事にあるのが真実だとしたら、もんじゅ関係者だけでなく原子力行政全体の大きな怠慢である。
高速増殖炉もんじゅと六ヶ所村の再処理施設は施設の内容は異なるが、最終的には核燃料廃棄物再処理という目的は同じであり、核燃料サイクルを根底から揺るがす問題だ。
近々、現政府は原発再稼働を言及しているがトータルの原子力政策について曖昧にしているだけに国の原子力政策も問われてくるであろう。
2013年05月12日
宮城県議団と合同でKEK視察
私は3回目になりますが、今回はいろいろな思いを持ってのKEK視察。
岩手県議会のILC推進議連の役員と宮城県議会同議連と合同での視察です。
今回は初めてTSUKUBA EXPRESSを利用しての電車で筑波入り。
秋葉原から快速で45分とは予想したより早いです。
ILCが北上高地に実現となった暁には一関から大東(大原)までの高速鉄道も必要になりますね。

ILCのクライモジュールが上の写真。このサイズは半分の長さ6mで、本物は12mの長さが一つの単位モジュールとなって地下100mに設置されることになります。


着々とILCに向けての技術の練磨は進んでいて「先端加速器試験施設(ATF)」における浅沼准教授の説明にも力が入っているように感じました。
さて、視察に入る前のKEK鈴木機構長とILC計画推進室長の山本明教授と横谷馨名誉教授(奥州市で開催された英語によるILC勉強会に参加された)との懇談の中で今後の課題について示唆された点をいくつかあげますと
まず、世界の中でのホスト国として期待される日本の立ち回り方について
日本が具体的な提案を示していかないと前に進まない。
それを進める前提となる踏まなければならないステップとして
@日本の中に国際研究所をどのような形態にするか(世界には国際科学研究都市がいくつもあるが方向性はバラバラ)、そのために決定するしっかりとした体制づくりが不可欠である。
A研究サイト(北上or脊振)に依存した設計を早期につくり、サイト周辺を含んだ広域的な設計が必要となる。
BILC予算確保のために「日本学術会議」のお墨付きをもらうことが必要になるが、科学技術予算の分捕り合戦という科学者間の軋轢を避けるために、ILC予算枠は別枠に考慮してもらうことが必要となる。
また、ILCに対してKEKが支える技術的部門の課題として
地域の特性を生かした最適設計を深める必要があると山本チーフが言及されたことは、今後サイト設計や産業・研究施設の貼り付けにも大きな意味を持つと思います。
目指すはセルンとは異なる国際科学研究都市の創設
その実現のためには私も何度も主張してきましたが、ILCにいかに付加価値をつけるかが、地元の私たちを含めた関係者が課せられた使命になることは間違いないようです。
岩手県議会のILC推進議連の役員と宮城県議会同議連と合同での視察です。
今回は初めてTSUKUBA EXPRESSを利用しての電車で筑波入り。
秋葉原から快速で45分とは予想したより早いです。
ILCが北上高地に実現となった暁には一関から大東(大原)までの高速鉄道も必要になりますね。

ILCのクライモジュールが上の写真。このサイズは半分の長さ6mで、本物は12mの長さが一つの単位モジュールとなって地下100mに設置されることになります。


着々とILCに向けての技術の練磨は進んでいて「先端加速器試験施設(ATF)」における浅沼准教授の説明にも力が入っているように感じました。
さて、視察に入る前のKEK鈴木機構長とILC計画推進室長の山本明教授と横谷馨名誉教授(奥州市で開催された英語によるILC勉強会に参加された)との懇談の中で今後の課題について示唆された点をいくつかあげますと
まず、世界の中でのホスト国として期待される日本の立ち回り方について
日本が具体的な提案を示していかないと前に進まない。
それを進める前提となる踏まなければならないステップとして
@日本の中に国際研究所をどのような形態にするか(世界には国際科学研究都市がいくつもあるが方向性はバラバラ)、そのために決定するしっかりとした体制づくりが不可欠である。
A研究サイト(北上or脊振)に依存した設計を早期につくり、サイト周辺を含んだ広域的な設計が必要となる。
BILC予算確保のために「日本学術会議」のお墨付きをもらうことが必要になるが、科学技術予算の分捕り合戦という科学者間の軋轢を避けるために、ILC予算枠は別枠に考慮してもらうことが必要となる。
また、ILCに対してKEKが支える技術的部門の課題として
地域の特性を生かした最適設計を深める必要があると山本チーフが言及されたことは、今後サイト設計や産業・研究施設の貼り付けにも大きな意味を持つと思います。
目指すはセルンとは異なる国際科学研究都市の創設
その実現のためには私も何度も主張してきましたが、ILCにいかに付加価値をつけるかが、地元の私たちを含めた関係者が課せられた使命になることは間違いないようです。
2013年05月07日
NO.96 前途多難
連休末は何かと96という数が話題になった。
長島茂雄氏と松井秀樹氏の国民栄誉賞の授与式が東京ドームで行われ、プレゼンターの安倍首相が96番の巨人軍のユニフォームを着て出てきた。
お二人だけに関しては私は何ら異存はない。
長島世代ギリギリの私は長島がグランドに立っただけで胸が熱くなり、松井の無駄のない極めてストレートな思いを表現した感動的なスピーチと併せて、久々に画面に釘付けになった。
今回の国民栄誉賞は大鵬が亡くなってから授与されたことを重くみて、なるだけ存命中にとの配慮がされたことが発端と推察されるが、支持率を安定的にしたいとの安倍内閣の思惑もないわけではない。
今回の授与式の演出の金的は、
野球関係者や多くのファンが見守る中、テレビ視聴者も野球界の未来に思いをはせる瞬間だったはずが、
96番の背番号をつけた首相がお祝いのスピーチで経済の復興に触れたのにはかなりいただけない。
首相がつけた背番号も改憲96条に意図的に引っかけたのではと揶揄されており、どうも政治がこういう場面でズカズカと土足で入ってくるのはとても見苦しい。授与する方は徹頭徹尾に裏方に徹するべきであった。
松井のスピーチが謙虚で決意に溢れた素晴らしい内容だっただけに、なんでもかんでも政治に利用しようとする態度がミエミエだったのは多くの人々が違和感を感じたのではあるまいか。
こんなことでは96条改憲も一筋縄ではいくまい。
長島茂雄氏と松井秀樹氏の国民栄誉賞の授与式が東京ドームで行われ、プレゼンターの安倍首相が96番の巨人軍のユニフォームを着て出てきた。
お二人だけに関しては私は何ら異存はない。
長島世代ギリギリの私は長島がグランドに立っただけで胸が熱くなり、松井の無駄のない極めてストレートな思いを表現した感動的なスピーチと併せて、久々に画面に釘付けになった。
今回の国民栄誉賞は大鵬が亡くなってから授与されたことを重くみて、なるだけ存命中にとの配慮がされたことが発端と推察されるが、支持率を安定的にしたいとの安倍内閣の思惑もないわけではない。
今回の授与式の演出の金的は、
野球関係者や多くのファンが見守る中、テレビ視聴者も野球界の未来に思いをはせる瞬間だったはずが、
96番の背番号をつけた首相がお祝いのスピーチで経済の復興に触れたのにはかなりいただけない。
首相がつけた背番号も改憲96条に意図的に引っかけたのではと揶揄されており、どうも政治がこういう場面でズカズカと土足で入ってくるのはとても見苦しい。授与する方は徹頭徹尾に裏方に徹するべきであった。
松井のスピーチが謙虚で決意に溢れた素晴らしい内容だっただけに、なんでもかんでも政治に利用しようとする態度がミエミエだったのは多くの人々が違和感を感じたのではあるまいか。
こんなことでは96条改憲も一筋縄ではいくまい。