
小学校単体では、統合が強いられる児童数ではありませんが、これも広域における(大東中学校区)将来の人材育成のための英断としてポジティブに捉えることが必要と公人的には考えます。しかし、母校喪失の寂寥感のこみ上げは禁じえないのも事実。

あと30年後にはこの子たちが地域を支える主役になるのです。

玉堀より産した水晶の形を元にした特色ある校旗もついに返納。

思い出を語る会では感極まって、思いのたけの10%も語れませんでした。
今思えばお気に入りの摺小の応援歌を歌えば良かったと後悔。

久しぶりに再開を果たした担任だった昭二郎先生を囲んで同級生6人と。
左から 幸夫君、玉義君、博幸君、先生、私、努君、美恵子さん。
みんな先生より大きくなりましたね。

思い出を語る会もあっという間に終了。
名残惜しやと言ってる間に、来月には大東小学校の開校式が待っています。