2026年01月18日

冬は屋内で芸能祭

新聞記事で拾った芸能イベント2か所に参上。

午前中は第44回子ども郷土芸能発表会@縄文ホールに

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昭和時代の藤沢町時代から続いている郷土芸能祭。44回も回を重ねていることに驚き、そして子どもたちの熱演に驚きの連続でした。

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神楽の演舞や田植え踊りなど町内各地域で伝承活動されていることに頭が下がります。大人が情熱深く取り組んでいれば自然と子どもたちもついてくるのだと思います。どの演舞もすばらしい出来映えでしたが、特に本郷地区の神楽演舞は見事でした。早くからこうした伝統芸能の伝承活動に支援をされてきた藤沢町の慧眼に脱帽です。

午後は摺沢の羽根折沢自治会の新年会・敬老会・祝年会に出席を挟んで

いわて子ども太鼓フェスティバル@大東室蓬ホールに向かいました。

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会場に入場した瞬間に熱気でムンムン。ジュニアの育成は各団体において重要な課題ですが、主催が日本太鼓財団岩手県支部でしたので県組織でも力を入れているということなのでしょう。太鼓の音色を聞いていると普段の練習ぶりがよくわかります。太鼓の鼓動は心臓の鼓動に通じるものがあり、そろったバチさばきには音が明確に違います。

こうして発表会に出演するだけでも今の時代ではハードルが高くなっています。本日の2つのイベントを通じて感じたことは、当たり前のことですが指導者の熱意が大事なこと。技術だけでなく礼節も同時に学ぶことの価値は大きいです。少子化の時代ですが、こうした地域文化の継承にはもっと敬意を払うべきと思いました。
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2026年01月17日

またもや継続審議

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【岩手日報第2面 2026年1月15日朝刊】


去る14日に行われた閉会中の常任委員会。総務常任委員会に所属する私は前回「継続審査」になった医療局の管理者設置案件が再び審議されました。審査方法は前回と同じ環境福祉常任委員会との連合審査です。

県執行部には好意的な地元紙にしては珍しく、厳しい審議の内容を記事にしてくれました。

前回の審査時と違う新たな設置目的や医療局の機構再編まで言及されるのかと少しは期待していましたが、逆に総務部から医療局への説明打診が9月ごろという期間の短さや、総務部と医療局の連携が希薄であることが明らかになったりと議論は深まるどころか当議案への疑惑が広がる形となりました。

答弁者が説明するのは管理者を設置することによる期待感を述べているだけで、具体的な医療局組織の改革にもビジョンが示されていません。いわば人事による白紙委任を議会に求めているに等しく、誰が管理者になるのかも不明でもあり、判断の材料が少なすぎます。

そもそも医療局の経営体制を抜本的に改革する気があるならば、現医療局長が管理者を設置する必要性について組織体制についても足らざるところ補給するところについて言及するはずでしょう。

次回の審査日は来月の27日が予定されており、人事日程の兼ね合いがあり、次回には結論を出すことになります。

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2026年01月16日

今度は「中道」ですか?

新党「中道改革連合」 食品消費税ゼロを基本政策に、財源とセット

【日本経済新聞電子版 2026年1月16日 12:22】

立憲民主党と公明党は16日、2月8日にも投開票となる次期衆院選の選挙協力に向けて新党「中道改革連合」を結成した。基本政策に物価高対策として食料品にかかる消費税率ゼロを盛り込む方向で調整している。赤字国債に頼らない財源確保を前提にする。

立民の野田佳彦、公明の斉藤鉄夫両代表が16日、国会内で記者会見した。野田氏は新党名について「右にも左にも傾かず、熟議を通して解を見いだしていく基本的な姿勢」を示したと説明した。

斉藤氏は「中道は生活者の生活を第一に考える。生活者ファーストと日本の平和を守るということだ」と強調した。党の略称は「中道」とする。

新党の綱領や基本政策は19日に発表する。野田氏は衆院選公約に「生活者ファーストの視点として消費税の減税は入れたい」と語った。「赤字国債を発行しないで財源を提示しながらやる一致点がある」とも述べた。社会保険料の減免も政策に据える方向だ。

安全保障政策や憲法改正などで保守色を強める高市早苗政権に対し、中道勢力の結集で対抗する。斉藤氏は「右傾化が進み分断と対立を政治的なエネルギーにする風潮のなか、中道の勢力を日本の政治のど真ん中に置くことが非常に大事だ」と訴えた。

安保や改憲、エネルギー政策などのテーマでは立民と公明も立場に違いがある。両党が基本政策の一致点を綱領や公約にどこまで落とし込めるかが焦点となる。


新党と言っても、集結するのは衆議院のみ。参議院と地方支部はどちらも現存するとのこと。選挙の結果次第では新党は解党の可能性もあり?!今回の衆議院選挙のために両政党の現職の国会議員だけがメリットを期待するという印象。中道という表現も曖昧過ぎてよくわかりません。

立憲民主党は立憲共産党とも揶揄されこれまで選挙協力までした日本共産党とは決別なんでしょうか?公明党にはかれこれ言うつもりはないですが、左に振れておいていきなり中道とは立憲民主党のスタンスが理解できかねます。

しかし、小沢一郎氏の周辺は何度党名を変えたのか、もはやカウントするのにも根気を失います。以前、立憲民主党に所属することを決めた瞬間に元小沢氏の側近県議が「今度は立憲だってよ。」と自嘲気味に話していたのを思い出しました。

かつてドイツとフランスの自治制度を現地に行ったときに政党の政策は地方支部からまず上げるという手順を聞いたときに、成熟した政党政治を見る思いでした。国会議員の都合で地方支部が翻弄されるのは真面目に活動している地方議員の心境を察するとやるせない気持ちになります。

はてさてこの結果はどうなるか。来月の開票日にはすべてがわかります。

posted by 飯沢ただし at 23:53| 岩手 ☀| Comment(0) | My Diary  【ふつうの日記】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2026年01月12日

神秘なる国インド

私の周辺で今インド国の話題がプチバズり中で、それに触発された訳ではないですが、思い出に触れながら意見を述べたいと思います。

三井倉庫在籍時代に本船荷役責任者(フォーマン)をやっていたことは何度かこのブログでも紹介してきました。三井倉庫では多様な船会社と船内荷役の契約をしていて、SCI(Shippinng Corporation of India)も主要な船会社でした。SCIは国営会社で当時の80年代前半は発展途上国でしたので私が担当していたUASC(United Arab Shipping Co.)とは荷役環境が大きく異なっており、たまに担当したSCIの本船では若かった自分はその変化に対応するのがかなり大変でした。

それでも今思い返すと人間修行の場としては貴重な体験だったと断言できます。限られた条件でいかにやりくりするかを試されました。

さらに、会社の体質かと思いますが、前日打ち合わせしたことが当日ひっくり返されるのは日常的にあり、ジャパンオフィスにいるSCI駐在代表者の言葉は絶対という社風でしたので、本船クルーと打ち合わせをしても結論を出してくれなかったことが多々あり、苦労しました。

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【本船 State of Manipur】

写真の本船はSCIが投入した在来船としては比較的性能が良く、三井造船神戸ドック製で3隻あったと記憶しています(State of Nagaland,State of Tripura)。しかし、いかんせん通常のメンテが不足している等、荷役作業にもトラブルが少なくありませんでした。今だから言えますが、接岸するときにこのファンネルマークと黒い船体が見えてくると憂鬱になったものです。

そんな中でも、私が新人の頃、当時先輩の松下フォーマンは粘り強く本船とも交渉しながら、有効な積み付けプランを絞り出している姿には強い印象があります。「飯澤君、仕事ちゅうもんは痺れないと覚えないよ」普段寡黙な松下さんから言われた言葉は強烈に私の体に刻まれています。

インドはイギリスの占領下におかれていた時からそれを乗り越えるためにガンジーが民族や宗教、階級の複雑な壁を乗り越えてきた歴史を鑑みるとこの現在においても統治の困難さが想像できます。その後も印パ戦争など激しい宗教対立もありました。近年経済力が高まってきても外交に関しては巧みに東西国とバランスをとっています。ロシアから主要兵器を購入していることからもその実態が判別できます。

国内に内在する価値観の多様性からインド国民に寛容が求められることは統治するうえで不可欠ではありますが、寛容を国の美徳としてそのまま受け取るには事は単純ではなく、したたかな戦略に基づいた行動をする国という認識を持たなければなりません。外交上のおつきあいをして行くには松下フォーマンのような忍耐と歴史に基づいた見識が求められるのです。

インドへの理解を復習するために、これまで部分的にしか観ていないデビッド・リーン監督の「インドへの道」を完全鑑賞してみたいと思います。
posted by 飯沢ただし at 23:54| 岩手 ☀| Comment(0) | Good Old Vessels【懐かしの船】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2026年01月09日

29回目の命日

本日は亡くなった父の29回目の命日でした。亡くなった時、父はもう少しで66歳の誕生日を迎えるという時でした。

平成9年(1997年)1月9日の朝、父の臨終に立ち合いました。あれから28年の月日が流れましたが、父が亡くなった日の朝の記憶は今でも鮮明です。

父は平成7年4月に行われた統一地方選挙のストレスが原因で急性骨髄性白血病を発症しました。一回目の抗がん剤の治療で一度は寛解(かんかい)し、骨髄が正常化して仮退院するほど復活しましたが、平成8年の7月に再発が確認され、再入院。再加療の甲斐なく最後は免疫力低下による感染症によって亡くなりました。7月から1月に至る治療は苛酷を極め、頑健だった父の体力をそぎ落としていきました。それ以上に精神的な落ち込みが激しくなり、面会に行くたびに低下している父の姿を見るのは本当にしのびなく心が痛みました。

今でも寝苦しい夜など、ふとあの頃の闘病している父の心境にになり替わる時があり、父の無念さをちょっとだけ想像するだけでも胸が張り裂けそうになります。

父は旧制中学、大学時代にラグビーに親しみ、体も丈夫でしたが、それが健康に対しての過信を呼んだこともあったかもしれません。しかしながら昭和一桁生まれの年代の人は青春時代を戦争に奪われ、高度経済成長時代に入り生活が安定すると、青春時代を取り戻そうと仕事に遊びに際限なく没頭した世代で、年齢と共に体を労わるとか生き方を切り替えるには相当の頭の革命を起こさないと無理だったかもしれません。

ちょうど父とは年齢が30歳離れている自分は恵まれた時代に育ち、今こうして生きていけることは何よりの幸せと思います。

豪放磊落に見えた父が、実は年齢と共に繊細になっていたことを思い起こし、我が身に投影して自分なりに決意をしたことがあります。自分も期せずして政治の道に入ることになったのですが、絶対にストレスを引き起こさないこと、引きおこさない回避策の工夫も自分で考えていくという結論に達したのでした。アンガーマネジメントも含めこの自己認識はとても大事だと思います。

まあ、自分の今の姿を見ている人は「言いたいこと言ってる」と思われてるに違いないと自分でも感じますが(苦笑)。二月定例会でも全開で行かせてもらいます。

これからの人生も豊かに過ごすことを目標に生きていきたいと思います。
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2026年01月08日

本年こそが岩手県誕生150年

本日は久しぶりに東山地域の新年交賀会で祝辞を述べる機会を頂きました。

祝辞の中で岩手県が数年前から県政150周年記念事業を始めましたが、真の150年は本年であることを強調しました。


以前達増知事は盛岡県が岩手県に改称となった明治5年を岩手県の誕生と本会議の所信演術で述べたことに私は大いなる違和感を感じ、その後の予算特別委員会では歴史事実を曲げるような発信は改めるべきと強く申し入れた経緯があります。

 明治5年1月、盛岡県が岩手県と改称しました。明治9年4月、磐井県が廃止され岩手県に編入、5月1日には青森県だった二戸が岩手県に編入し、5月25日には宮城県だった気仙が岩手県に編入となり、戊辰戦争から9年の歳月を経て現在の岩手県が誕生しました。

明治9年は西暦1876年です。

私たちが住んでいる磐井地方がいかにも従属して岩手県に編入されたような間違った発言は断じて許されないと考えます。

👇以下は令和4年の予算特別委員会で私が質疑した発言内容の一部です。

〇飯澤匡委員 この4年間をどう捉えるかということが問題なのです。この特別委員会室に初代の議長の写真が出ているけれども、明治11年です。県議会もこの4年間の間に開会されてないのです。まだ設置されてない。
 だから、岩手県の歴史をきちんと後世に伝えるのはわかるけれども、しっかりとした歴史を、岩手県が確定したのは明治9年です。
 私が一番懸念するのは知事演述。知事演述の結びに、ことしで岩手県150周年を迎えましたと断言してしまっている。その前段で、皆さんが説明したように、恐らくあなた方が下書きを書いたのでしょう。知事の演述の前段で、令和8年には県境が確定したということは言っています。ところが、御丁寧なことに、結びにと、岩手県150周年になりましたとぴたっと断言してしまっているわけです。これはいささか問題だと思っています。
 ちょっとうがった見方をすると、この4年間、私は県南出身ですけれども、我々は編入された歴史を盛岡中心に書かれるのではないかと。今までも岩手県の博物館にしろ、ほとんど南部藩中心の品物をそろえて、こういう歴史があり、直近の例では、例の飲食店の協力金。あれについても盛岡市限定だと。これは大いに私たちの地域でも問題視されました。
 こういう歴史認識をしっかりした上でやっていかないと、私たちはちょっと我慢できないのです。説明が足りないと思うのです。知事が断言したということは、私は大変問題だと思っているのです。そこの中に思いやりだとか、こうして岩手県が形づくられましたという説明が後段の中にもあったら、100%納得はしないけれども、式典をやるのだったら、150周年というきちんと歴史の節目の中に岩手県という県境が形づけられたときに、私はやるべきだと、こういう考えです。
 それから、この際に申し上げますけれども、明治4年の盛岡県の規模は、確かに人口は6郡で31万9、000人余、それから、磐井県と気仙郡を合わせたこの4郡は20万7、000人。確かに10万人以上の開きはあるけれども、石高とすると、盛岡県は25万3、000石、磐井県は気仙郡と合わせて44万石あった。これだけの経済力の差があったのです。そういうこともあわせてやっていただきたい。
 宮城県の150周年とは違うのだから。岩手県としては、そこは丁寧にこの150周年についてはやるべきだと思うのですが、熊谷ふるさと振興部長いかがですか。


当時の予算特別委員会でかなり強硬な意見を述べたので、後に菊池哲前副知事からその件は大目に見て下さいとの話を承ったこともありましたが、歴史事実は事実として正確に発しなければなりません。況や知事がそうした間違った認識では困るのです。

2022年の2月17日と2月19日、3月14日のブログにも同様の意見をつづっています。よろしけれそちらも目を通して頂ければ幸いです。
posted by 飯沢ただし at 22:24| 岩手 ☁| Comment(0) | My Diary  【ふつうの日記】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2026年01月05日

郵趣族の自負と意地

本日からお役所は仕事始め。

今年は今日の一関市賀詞交換会がトップバッターを務めます。

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乾杯の前には当地方のお祝い行事では祝謡が必須!「高砂」より四海波が定番です。

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例年通り乾杯前の鏡開きに参加。今年の乾杯の音頭は岩渕誠議員が指名されました。当選挙区の県議で年次ごとに回していきますが県議の定数5なので回ってこない年もあります💦

そして明日から怒涛の各地域の新年交賀会が続いていきます。10日(土)はなんと7会場!頑張ります。

さて、話は変わって年賀状についてです。

世の中のデジタル化と郵便料金の大幅値上げが相まって、賀状終いの人が増えてきました。一昨日北上市の大型文房具店に行きましたら年賀状じまいの寒中見舞いも数種類販売されていました。

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72年前の午年の年賀ハガキ、27年前我が家引っ越しの時に発見したものが手元にあります。

当時のハガキの郵便料金は4円。大学卒の初任給は3万円くらいですので格段に安いですね。まだ郵便番号は存在しません。

私は郵趣族の一員と心得ていますので、これからも年賀状は書き続けていくつもりです。小学生の頃に流行った切手収集は単に切手を集めるだけでなく収集の過程で国立公園や国定公園の名前や文化人など自然に記憶されて教養の広がりに寄与したと思っています。

この物価高騰が続くとハガキの値段も上がりそうですが、こうなりゃ意地で年賀ハガキが販売され続ける間は頑張ります。


posted by 飯沢ただし at 23:50| 岩手 ☁| Comment(0) | My Diary  【ふつうの日記】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2026年01月03日

満64歳になりました。

1月3日を迎え年を一つ取りました。

メール、ライン、FB、メッセンジャーでたくさんの皆さんからお祝いの言葉を頂きました。何歳になってもお祝いの言葉をもらえるのは嬉しいものです。この場でも御礼と感謝を申し上げます。ありがとうございます。

昨年までは意識は薄かったのですが、さすがに65歳を目前となるといろいろ考えます。同級生たちもまだまだ現役で働いている人がほとんどですが、来年あたりから完全リタイア組がすこしずつ増えてくるのではないかと思います。いずれ一般的には人生の4コーナーには差し掛かっていることは間違いありません。

数字の64で思い浮かぶものと言えば Nintendo64。残念ながらこれでゲームした経験はありません。ゲームで思いつくと言えば

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こちらの方でしょうか(笑)子のチートイドラドラ、6400点です。満貫とは1600点しか差がなく、振り込んだ相手にとってはダメージが大きい手役です。さりげなくダメージを与える64のパワーをあらためて再認識しました。

点数の64の次は77なので、77歳までこのネタは使えないと思うと気が動転しそうです(謎)

一日一日の進むスピードは年々加速度を増していきますので、この一年自分の中でもメリハリをつけて行動したいと思います。正月に誕生日を迎えると新年の誓いも併せて言えるので、いいものですね(笑)。


本年もどうぞよろしくお付き合い下さい。

posted by 飯沢ただし at 23:08| 岩手 ☀| Comment(0) | My Diary  【ふつうの日記】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2026年01月01日

謹賀新年2026

令和8年のお正月を迎えました。

今年も昨年に引き続き中尊寺への若水送りの行事から参加です。今年は夜半から細かい雪が間断なく降り続き、雪中での行事でした。こうした歴史事実に基づいた行事に参加すると先人の思い、すなわち当時の宗教観や地域を守るとう崇高な精神に接することが出来て心が洗われる思いになります。

今年は午年です。

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【1966年の琉球年賀切手】


話は変わりますが、最近、ギャロップダイナという競走馬に興味を引かれて過去の映像を観ています。

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父はノーザンテースト。社台の期待馬でしたが、ダートではそこそこ走るものの中々突き抜けるだけの実力を発揮することが出来ずに陣営でも試行錯誤の時が流れていました。騎手も岡部Jを何度か騎乗することがありましたが、柴崎Jや根本Jや東Jなど地味な騎手を起用することが多かったようです。

それが、突然、皇帝シンボリルドルフを天皇賞(秋)で破る金星を挙げ世の中の注目を浴びることになりました。

確かにそのレースは展開も嵌りましたが、ギャロップダイナは長くいい脚を使える能力があってこその実力があったことは間違いないところだと私は思っております。

最期の引退レースは社台のダイナガリバーが有馬記念を勝利した時に人気薄で2着に食い込み、同じ馬主ということで吉田善哉氏の計らいで2頭で記念写真を撮るということになったようです。

安田記念を制したことで海外にもマイルのレースを選んでチャレンジしたことは初めて今回知ることになりました。

私もギャロップダイナのように諦めずにひたすら長い脚を使ってことを進めるようにこの午年2026年を過ごしていきたいと思います。

本年もどうぞよろしくお願い致します。
posted by 飯沢ただし at 23:52| 岩手 ☁| Comment(0) | My Diary  【ふつうの日記】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年12月31日

さようなら2025年

あっという間の一年でした。10月中旬まで扇風機を回すほどの残暑に見舞われ、初秋など感じる間もなく晩秋へという秋でした。その秋には熊の相次ぐ出没と人的被害まで発生し対応に追われました。

2年務めた副議長職もつつがなく9月に末に終了。たくさんの経験を積まさせて頂き感謝にたえません。

振り返るとブログを始めて今年で満20年を迎えました。我ながらよく継続したものだと思います。読者あってのブログですので読者の皆様には感謝💓・感謝💓です。

あと2時間で今年も終わりです。例年のようにブログやフェイスブックに紹介しきれなかった携帯電話に埋もれた画像を出しながら隠れた一年を振り返ります。

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1月。ドカ雪の降った10日に仙台空港に家内と新しい家族を迎えに行きました。ご縁がつながり小樽から千歳空港⇒仙台空港で空輸です。雪と貨物ターミナル探しのため予定の時間より約1時間遅れで対面。ウ〇コまみれになった新家族と対面でした。今では5年も居たような顔で先住犬と暮らしています。先住犬はアズキなので、食べ物系で統一してクルミと命名しました。ブリーダーさんのところではマグノリアだったらしいです。

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2月。私が顧問を仰せつかっている磐井太鼓同志会の30周年記念祝賀会です。私が議員になるちょっと前に同会は結成され、各団体の技術の錬磨と交流が図れてきました。この間休止や廃止になった団体もあり時代の流れを感じさせられます。熱心な団体はジュニアの養成に力を入れており、子どもたちの元気なバチさばきに地域の未来を感じとることができました。

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3月。千厩町小梨の南小梨にある「千厩みなみ交流センター」の閉所式。かつて行われた都会との交流事業であるパルパル交流の拠点、地域のイベントに活用されてきましたが以前は南小梨小学校だったこともあり老朽化が主な原因でやむなく閉所となりました。秋の収穫祭には地元でとれたお餅振る舞いがあり、いつも楽しみにしていましたので残念でなりません。人口減が大きな要因であることは間違いありません。

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4月。予定より半年遅れでしたが、待望の「道の駅 だいとう」が開所しました。国道343号渋民バイパスが完工して以来、県職員の方からアドバイスを頂いて地元の産直組合を軸にして組織が立ち上がり開所まで漕ぎつくことができました。用地の接収手続きなど苦難続きでしたが、ここまでこれて私もホッと一息という感じでした。折に触れてイベントを企画するなど積極的な運営をしているようです。今後の益々の発展を期待します。

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4月その2。岩手県議会日韓親善議員連盟の事業で久々に渡韓しました。ソウル近郊のカチョン市を訪問し市議会との交流を図ったのがこの写真です。このネームプレートは私の名前です。

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5月。北海道・東北六県議長会の会議の一コマ。各道県の正副議長は年に2回(5月と8月)に集まって北海道・東北地方特有の課題を整理して議長会として政府要望をすることからその内容を確認する会議になります。ちなみにILCに関しては重要案件になっており、直接関係機関に足を運んで要望をします。私も工藤議長の配慮で要望会には毎回出席しました。

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6月。公式行事ではありませんが、各県に設置されている成蹊大学同窓会の東北地区では持ち回りで東北成蹊会を開催することになっており、今年は岩手県が幹事県でした。ちゃぐちゃぐ馬子の日に合わせて開催しました。準備がなかなか大変で開催まで何度も打ち合わせをしました。前開催地が青森でねぶた祭、その前が秋田で竿灯まつりということで大変プレッシャーがかかりましたが、岩手の同窓会の皆様の協力で大成功で終わりました。

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7月。暑くて溶けるような日に広島を家内と旅してきました。厳島神社、原爆ドームを訪問しました。夜は広島vs巨人戦を観戦。新しい球場のマツダスタジアムは大リーグの球場のように内外野をぐるっと一周できる構造で大変観やすいスタジアムでした。市電の発達ぶりに感動。

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7月その2。弊社一関営業所のご近所さんの「リカーショップ ホシ」さんから7月用のポスターモデルに選ばれ、同店推しの餃子の仲間入りをしました(笑)。被写体の身分は大東貨物自動車株式会社の社長としてでございます。

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8月。成蹊大学漕艇部の現役諸君のインカレ壮行会に出席するために吉祥寺へ。吉祥寺駅では長野市の販促活動が行われており、金メダリストの荻原健治長野市長も元気よく接客をしていました。政治家に転身して市長になられ積極的に動いている様子を直に拝見しました。

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9月。議長席での最後の一コマ。盟友である城内議長の当選告知をしたことは生涯の誇りです。

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10月。全国育樹祭に出席。副議長は退任しましたが、皇族が出席することで正副議長選挙よりも前の事前登録が必要な時期に開催となったため元副議長として最後の公式行事でした。岩手県議会林業振興議連の幹事長である吉田敬子議員と一緒でした。副議長として異例の3回の出席を果たしました。(茨城・福井・宮城)

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11月。会派視察で鳥取県を訪問。子育て支援策について大変勉強させて頂きました。視察前の時間に鳥取砂丘を初めて足を踏み入れました。想像していたよりも面積は小さいが、風が強くて飛ばされそうでした。

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12月。12月定例会中の議員会館での宿泊での一コマ。最近はちょっと足を冷やすと脛がつるということが起こり、その防止のための寒い日の靴下履きは欠かせません。年は取りたくないものです。

来年は午年。ヒヒーンと悲鳴に近いいななきをすることなく綺麗なラップを刻んで無事完走の年末のゴールを迎えたいと思います。

読者の皆様、来年もどうぞ御贔屓にお願い申し上げます。
posted by 飯沢ただし at 21:56| 岩手 ☁| Comment(0) | My Diary  【ふつうの日記】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする