2020年06月04日

受け継いでいく思い

今週の日曜に地元の大先輩である佐藤時夫さんの訪問を頂いた。時夫さんは昭和2年生まれで今年満93歳になる。かつて大東町議会議員や地元農協の要職も務められた。議員時代は私の祖父武雄と父忠雄と同僚でもあり、私で3代のお付き合いをさせて頂いている。耳のはかなり遠くなられたが思考回路は健在で、先日は懇談というより、一方的に私に思いを伝えたかったのだと感じた。


増田寛也氏の「地方消滅都市」の評価を口火に話が始まり、内容は多岐に渡ったが、一貫しているのは農業振興を中心にした中山間地の維持発展についてだった。

賀川豊彦の精神、新渡戸稲造の講義の内容、スイスのアルペン農業とデカップリング、農業専門校の在り方、農協経営の本質、ドイツのグリーンプランと農村改善事業の成果と問題点

これだけの内容を約2時間で一瀉千里に話され、最後に「しっかり伝えたから」と言われて車を駈けて嵐のように去られていった。


私は父が60代半ばで亡くなったのでこうした時夫さんのような大先輩とお話できることとなったのだが、本当にありがたいと痛感した。時夫さんの思いは与えられた材料を自分なりに学習して地域や本県の発展につながるような跡を残していく活動をしたいと思う。
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2020年05月31日

2020年の挑戦

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昭和41年、円谷英二氏が監修した空想特撮シリーズ『ウルトラQ』の第19話がこれである。この回に出現するケムール星人は「Qシリーズ」の中でも特異で、最も印象に残る宇宙人である。

「2020年の挑戦」は神田博士が書いた小説となっていたが、実は神田博士とケムール星人との交信の記録だったという。発達した医療により高度な知能と長寿を得た健全な肉体の維持には限界のあるケムール人は、2020年という未来の時間を持つ星へと送られた人間の身体を使って肉体の衰えを補おうと企んでいた。

ここで設定された2020年という未来は1960年代からみて科学の進歩が顕著になっていることを期待されていると思うが、実際に2020年に到達した今、果たしてどれほど人類の期待に応えられた発展をみているだろうか。

スペイン風邪以来の世界的パンデミックに陥っている今、ケムール人が高度な知能と長寿を得たが健全な肉体の維持に限界があるとは奇しくも54年前に人類の前に立ちはだかる壁や限界が暗示されていたような気がした。

人類の歴史は感染症との闘いの連続であり、新型コロナウイルスを克服したとしてもまた新たなウイルスが出現することは間違いない。科学の基礎研究が継続的に不可欠なのはここに意味がある。題名のとおり挑戦し続けていくしかない。

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2020年05月30日

議会の権能を保持する

昨日は県議会交渉会派の代表者会議があり、6月11日(木)に開かれる臨時議会と6月23(火)から開会予定の6月定例会の進め方について協議をしました。私は「いわて県民クラブ」を代表して協議に参加しました。

臨時議会は一昨日閣議決定されたコロナ対策の補正予算に呼応する形で県側から召集される予定であり、他県よりも早い動きには評価をしたいと思います。

6月定例会は一般質問9人が予定されているところですが、平時とは異なり未だ「三密」を回避しなければならない状況にあることから会議の持ち方について他県の事例を参考にしながら議論しました。本会議場で行うことはすぐ合意を得たのですが問題は会議時間をいかに効率的に行うかという点です。すでに「三密」を避ける対応方策を連絡本部会議で行っていますので、通常通りの日程で行うことは矛盾を生じることになります。

1)質問時間を短縮して会議時間を短縮する
2)質問者を減じて会議時間を短縮する

事務局からは案として2案が示されましたが、私は質問者の時間は通常通り確保すべきとの論に立ち、議会が自ら与えれた権能を狭めることはありえないとの考えを述べました。具体的には一般質問の日数を2日増やして、1日2人の質問者にすることを提案しました。要は質問者の時間を確保しつつ会議時間を減ずるという考え方です。昨日は結論には至りませんでしたが各会派の合意はほぼ得られたと思います。

議会日程は県執行部との兼ね合いもあるので今後調整をされることになります。知事等の日程が議会日程とかち合う場合は別の方策を考え直さねばなりません。

議会日程を増やすことは経費の増大になるわけですが、このようなコロナ対策やコロナ収束後の生活様式の変化に伴う県施策の推進策等、議会側が提案することは多岐にわたることが予想され、このような時こそしっかりと議論することが求められると考えます。そもそも議会は民意を選挙によって反映された独立した機関ですから議会の意思によって議会の運営はされるべきです。よって質問時間を短縮するなどは私は考えもおよびません。

まぁ早期に「三密」体制が解かれればこんな面倒はしなくてもいい訳ですから、一日も早いコロナウィルスの感染終息を願うばかりです。
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2020年05月27日

あれから40年・・・

久々の「気になる品」カテへの投稿です。

今から40年前の1980年、大学生となり東京で一人暮らしをすることになりました。不安と期待のアパート生活(2か月後にはボート部に入部してほとんど合宿所生活になるのですが・・・)の始まりでした。

アパートは杉並区宮前2丁目。都立西高のすぐ近くでした。京王電鉄井の頭線久我山駅から歩いて10分程度。四畳半風呂なし共同便所。二階建のアパートでそれぞれの階に5部屋づつ。私の住んでいた1階は3人が東大生のようでした(二年間住んでいて一度も顔を合わせたことなし)。

風呂なしとなると銭湯を利用することになります。80年代に入ったばかりでしたので学生の銭湯依存度はまだ高かった時代でした。風呂代は180円でしたが、すぐに195円になったのを記憶しています。

シャンプーなどを持参するのに洗面器を求めました。久我山駅近くのピーコックストアというスーパーマーケットで買いました。後から知ることになるのですが結構高級クラスのチェーン店だったようです。お店の買い物袋はビニールではなく紙袋でした。袋は茶色地でPEACOCKと書いてました。

その商品がこれ↓

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それがなんと今でも現役です。議員会館で使用しています。たかが洗面器ですがしっかりした作りだったからでしょう。

杉並区宮前⇒武蔵野市吉祥寺⇒横浜市神奈川区子安台⇒自宅⇒議員会館と40年にわたって共にあります。PANOBAというブランド名はまだ存在っしていて、もちろんメーカーさんも健在です。

40年も経ったかという思いが巡ります。あの頃竹内まりあの不思議なピーチパイとビリージョエルのストレンジャーをよく聴いていたことが甦ってきます。18歳のニキビ面の若造は今や白髪が目立つ還暦前のオジさんです。時の流れは非情です。

さてこれからこの洗面器はどのような時代の変化を共に見ることにななるでしょうか。ひょっとしたら「生活様式の変化」は銭湯の存続自体を危うくするかもしれません。

いずれにせよこれからもPANOBA君を大事に使っていこうと思います。
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2020年05月26日

地域の宝を守る活動

昨日行われた一関市舞川地区の金山棚田の田植えに私も少しだけ参加してきました。イベント記事は最近はフェイスブックに投稿していましたので久々のカテ投稿です。

棚田を所有する金山孝喜さんが高齢を理由に昨年で耕作を断念したことを受けて、「いちのせきシェア農園」の櫻井陽さんが立ち上がり耕作作業を引き継いだことから新しい活動が始まったのです。各紙報道にあったように田植えには多くの方々が参集しました。

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【作業前に挨拶する櫻井代表】


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櫻井氏は大東町出身ということもあって昨年行われた「畦道マルシェ」等の地域活動で知り合いになり、これまでも地道に活動を進める櫻井氏が進める活動には注目をしていました。

金山棚田は何度か訪れたことがありますが、このようにじっくりと触れたのは私も初めてで、この作業を家族だけでやるとなると大変なことがよくわかります。棚田は江戸時代後期かに開墾されたということで、大小約100枚もの水田を管理することの苦労も理解できるというものです。

参加されていた県職員の知人とも話をしましたが、このような活動が地域文化継承とうまく融合されて活動の熱が多くの人に電導していくことが重要で、この熱がいわゆる地域の誇りにつながり、布いては一次産業への振興につながっていくことを心から期待するものです。

20代の若い人たちが中心になってこのような活動を起こすのは本当に頼もしく思いますし、私も刺激になります。ただこれからいかに継続していくことが大事ですので、うまくじんわりと染み渡るように広がっていくことを念願してやみません。これから私も時間をみて収穫前に草刈にでも行こうと考えています。
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2020年05月25日

息を抜けない

本日緊急事態宣言がすべて解除になりました。

しかし、新規感染者がゼロになったわけでもなく慎重な対応が今後も求められます。

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ニュースソースとしては一週間前の古い話になりますが、県議会では対策連絡本部員会議が開かれ、また翌日には国へ財源措置を主体とした意見書を送付するために臨時議会が議会側の招集により開かれました。

連絡本部員会議はいつもの特別委員会室では密室の状況の懸念があるため、異例ではありませすが本会議場で行われました。長時間の会議を避けることを考慮に入れて時間制限を設け、通告制を採用しました。県民クラブからはハクセル美穂子議員が代表して質問を行いました。

翌日の地元紙でも私のコメントが掲載されていましたが、本会議場で行ったせいもあり形式を重んじる論調が多く散見され現在の問題を抉り次のステージにつなげる質問が少なかったのは残念でした。

県は今後も(1)検査体制を含んだ感染症予防対策と(2)経済対策の二本立てを進めていく必要があるのですが、(1)は二次医療圏ごとに発熱外来と検査センターを整備して運用するという大きな方針が固まり、感染症病棟についても内容が詰めています。しかし(2)に関しては県内の事業所19社が100人超の解雇を予定している、観光関連産業には前年同期比7割以上減の深刻な影響が出ていること、雇用調整助成金の相談件数は3000件以上になっているが実際に支給まで至った事業所は40件にとどまっていることなど

経済対策には課題が山積。

特にスピードに関しての意識がどうなのか。県はいつものアドバイザー的調整役で済まされるのか。金融機関に県職員が張り付いて実効性のある融資ができるように動くとか一歩踏み込んだ対応が必要ではないか。

などまだまだ議会側も提言の工夫が必要でありました。

局面も次なる段階へと切り替わりましたので、国の二次補正の動きも見て議会全体としても会派としても動いていきたいと思います。
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2020年05月24日

岩手の不思議

感染ゼロの岩手は「幸運としか言いようがない」…米紙

【2020/05/20 09:07  読売新聞電子版】

 「2011年に津波に襲われた岩手は、47都道府県で唯一新型コロナウイルスの感染が報告されていない」――。米国の有力紙ウォール・ストリート・ジャーナル(電子版)15日、コロナウイルスをめぐる岩手県の状況を記事で取り上げた。

 記事は、感染未確認の現状を「幸運としか言いようがない」とし、「おそらく地理的な要因もあるだろう。山が多い地形が、沿岸部の小さな自治体と都市部を隔てている」と推測した。

 一方で、「理由付けができるとすればその程度でしかない」とも記し、「米コネティカット州とほぼ同じ広さに約130万人が住む」「盛岡は北日本で最も大きい都市の一つで米ピッツバーグと同程度の人口を誇る。新幹線の主要駅がある」などと紹介。「県の外出自粛要請を守り徹底する県民の姿勢」が要因だとの見方を伝えた。PCR検査の実施件数が都道府県で最も少ないことも触れ、「未確認の感染例が存在した可能性がある」との声も載せた。県外客の入店を断る店や自治体の水際対策なども取り上げた。


国内のみならず海外でも岩手県感染ゼロが注目されているようです。

ウォール・ストリートジャーナルの論説は実によく分析されていて的を得ているとお思います。確かにPCR検査の実施件数が少ないことは各方面から指摘を受けていますが、だとしても罹患報告がないのも事実。これは県民がリスクを重く理解して衛生確保をしっかり行い、首都圏などにいる家族や関係者に帰って来るなと強く懇願しているのも功を奏しているでしょう。

一方、このゼロ状態が続いていることにより他県からの来県者に対して過敏な行動をしている例が報告されるようになり、ついには知事が「罹患しても責めることはしませんから」発言まで飛び出しました。それを言うなら責めませんより、仮に罹患しても本県の医療体制の備えをしっかり行いさらに充実するよう努力しています程度で良かったとは思いますが。


とにかくこの誠実な県民性がゼロに貢献していることは間違いないことですから、この際、リモートワーク受け入れ先進県や安心安全な農作物あってこそこの結果に至っている岩手県とか、もっとゼロという事実を大いに情報発信すべきと私は思うのです。耐え忍ぶ岩手県の美徳からさらに大きなビジネスチャンスを掴む二次展開を目指す情報戦略が必要です。
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2020年05月17日

義経は関係ない

「義経を大切にしていれば…」 感染ゼロの岩手、知事が他県民への配慮訴える
【毎日新聞2020年5月15日 16時23分(最終更新 5月15日 23時46分)】

 岩手県の達増拓也知事が15日の定例記者会見で、新型コロナウイルス感染への警戒から県外の人を遠ざける動きがあることについて聞かれ、「他県の人である源義経を虐げた途端に奥州平泉(の藤原氏)が滅びてしまった」と歴史を引き合いに出して県民に配慮を求める一幕があった。

 岩手は感染者がまだ確認されておらず、達増知事は会見で、感染者が少ない地域との県をまたいだ移動の自粛を解除する方針を示した。その際、記者から「県外ナンバーの車が冷たい視線を浴びている」として対応を尋ねられ、義経の名を出した。

 義経は平安時代末期、京都から平泉(現・岩手県平泉町)に移って青年時代を過ごした後、兄の頼朝とともに平氏と戦った。しかしその後、頼朝と対立。義経は再び平泉に身を寄せたが、奥州藤原氏は頼朝の圧力にかくまいきれなくなり、義経を自害に追い込んだとされる。奥州藤原氏もその後、頼朝に滅ぼされた。

 達増知事は「義経を大切にしていれば岩手は悪くなかったのに、京都からやって来た義経を虐げた途端に滅びた」と振り返り、「岩手は東日本大震災からの復興でも県外の方に助けられている。他県の方には親切に、寛容にしてほしい」と呼び掛けた。
【日向米華】



他県民の配慮を求めたまでは良かったが、義経を引き合いに出すのは主観が入り過ぎ。
義経が平泉に戻った頃は鎌倉の勢力が強大化し、平泉の情勢が秀衡治世時代とは世の中が大きく変化しており、義経を虐げた途端に滅びたとは短絡的な歴史認識だ。泰衡が鎌倉に対抗できる戦略も持ち合わせていなかったことを考えると平泉は義経如何に拘わらず攻められていたことは間違いない。虐げるという言葉を使うのもどうかと思うし、途端に滅びたという表現も正確ではない。こうした誤った歴史事実を発信すること自体情けない。知事は平泉授業とやらを学校で講師をしているらしいが、こんな調子なんだろうか。

おおよそ比喩や例えは的確に本質を突いていなければ意味がない。その点、椎名悦三郎・素夫親子元議員の例え話はユーモアも入り混ぜて絶品であった。
posted by 飯沢ただし at 13:46| 岩手 ☁| Comment(0) | My Diary  【ふつうの日記】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月16日

変わりゆく駅の雑踏

コロナの影響でソーシャルディスタンスが用語になり、人との距離感がますます離れていきそうだとは以前にも書きましたが、今日も衛星テレ東で放映された寅さん映画を見てつくづくその思いが強くなりました。寅さんのように他人のために世話を焼く人はこれからどんどん減っていくのではないでしょうか。

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このシーンが示しているように私が大学生の頃の昭和50年代後半までは改札口で駅員さんが切符を切っていましたね。ちょっとした瞬間ですがここでも小さなコミニューケーションはとっていたのです。

そしてまた駅の待合室は、それこそ他人との接点の場所でした。私は子どもの頃から気になる空間で、さまざまな人の行きかいがいろいろなことを連想させてくれました。小学生の頃に経験した上野駅や盛岡駅の待合室の雰囲気は今でも忘れられません。

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上の写真はビリーワイルダー監督「7年目の浮気」の冒頭場面で、ニューヨークのどこかの駅のシーンです。1950年代のアメリカは世界の最先端を走っていて活気にあふれています。この頃のアメリカは余裕だったでしょうね。


リモートワークはこれから大手企業は競って飛躍的に取り入れられていくでしょうが、私はITやAIが進化し、社会がそれを取り入れることは避けられないとしても最終的に人間力だと信じていますので、人との摩擦を避けるような社会には決して移行させてはいけないと強く思っております。
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2020年05月14日

いなくなると思うと寂しい

本日、政府から39県の緊急事態宣言を解除することが発表されました。厳格な規制は解けますがまだまだ油断はできません。産業部門では業種によって打撃の格差があり、経済対策は的確かつ迅速な対応が求められます。


さて、話題は大きく変わって、我が家の出来事について。
洋式トイレを導入して40年余(簡易水洗時代より)になりますが、以来ずっと我が家でお世話になっていたトイレットペーパー「白樺」がついに製造中止となり、この1ロールが最後となってしまいました。

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ほぼ毎日お世話になった「白樺」は再生紙ですが、質感はまったく問題なし。
傍にいつもあると思うと気付かないもの、無くなるとわかると急に愛おしくなるものです。

「白樺」という名前も今に思えばカタカナやローマ字のものよりも今に思えば風情を感じます。長年にわたって家族の健康的な生活保持を陰になって支えてもらった「白樺」に心から感謝を捧げたいと思います。



posted by 飯沢ただし at 23:12| 岩手 ☀| Comment(0) | My Favorites 【お気に入り】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする