自公が過半数割れをした結果を見て、国民民主党の動きが速い。
早速、選挙を通じて訴えた年収103万を超えると所得税が課される現状の税制見直しについて動きが出ている。
これぞ、有権者との約束を実行に移すといった政策重視の政党のあり方と言える。
自民党の政調会長は小野寺五典氏なので、丁寧に前に進めるのではないかと思われる。
メリットとしてパート労働者の勤労意欲が増すことにより、経済の活性化、人手不足の解消が見込まれるが、デメリットとして巨額の税収減、高所得者の減税額が大きくなることが指摘をされている。
財務省の抵抗は相当のものと推察されるが、関心を持ってこの行方を見守りたい。
私としてはこの際、トリガー条項の撤廃、石油製品の二重課税についても議論の俎上に上げることを切望する。
2024年11月06日
2024年10月31日
戦い終わって
第50回衆議院選挙が終わりました。
岩手第三区において藤原たかし氏は議席を保持することが出来ませんでした。残念でなりません。
私も応援した立場上、ここに藤原たかし氏を応援してくれた皆様に心から感謝を申し上げます。
【逆風からはじまり後ろから突風に煽られる戦い】
私の経験上から言うと、候補者が第一声でお詫びからはじまる選挙はほとんど苦戦を強いられています。自民党が組織ぐるみの政治資金規正法違反を行った影響のみならず、参議院議員の不始末問題が重なり、ご本人がこの3年間、真面目に地域のために行ってきたものが吹っ飛んでしまいました。その事実を知っている人たちは理解していますが、一般の有権者まで浸透させるのは困難でした。中央メディアの力の恐ろしさを痛感した選挙でもありました。自民党本部の失態はさておき、前回の票数を上積むする取り組みが甘かったのは否定できません。ここはしっかり次回に対応する必要があります。
【相手方の逆襲】
前回小選挙区で敗北をした相手陣営は早くから体制を整え、達増知事まで応援に繰り出す徹底ぶりでした。そもそも支援組織が弱体化したとはいえ、基礎部分までは朽ちておらず、以前から優勢な地域の底固めに注力したとみえました。
【既存政党の凋落】
共産党は東北ブロックで虎の子の議席を失いました。驚くことに、れいわ新鮮組が共産党を上回る票を獲得して1議席を得ました。格差社会の是正をどちらの政党も訴えていますが、SNSの発信や、若い人たちの共感がこのような新勢力を台頭を指示したと推察されます。公明党も全国的に不調で組織は絶えず新陳代謝をくりかえして行かねば退潮するという現実を見せつけられました。
【国政の代弁者の不在】
国会は首班指名が終えておらず、内閣がどのように編成されるかは今のところ不透明ですが。比較数で自民党が与党となった場合、県南地区で与党の国会議員を失ったことは影響が大きいです。私も大きな国政マターから地域課題まで意見を素直に吸い上げてくれる存在がいなくなったことは無力感を禁じ得ません。県南の首長も同じ考えではないかと十分に推察されます。
今回の戦いは終わりましたが、次なる選挙も4年以内には必ずやってきます。反省から得た課題を次に生かすことが極めて重要です。
岩手第三区において藤原たかし氏は議席を保持することが出来ませんでした。残念でなりません。
私も応援した立場上、ここに藤原たかし氏を応援してくれた皆様に心から感謝を申し上げます。
【逆風からはじまり後ろから突風に煽られる戦い】
私の経験上から言うと、候補者が第一声でお詫びからはじまる選挙はほとんど苦戦を強いられています。自民党が組織ぐるみの政治資金規正法違反を行った影響のみならず、参議院議員の不始末問題が重なり、ご本人がこの3年間、真面目に地域のために行ってきたものが吹っ飛んでしまいました。その事実を知っている人たちは理解していますが、一般の有権者まで浸透させるのは困難でした。中央メディアの力の恐ろしさを痛感した選挙でもありました。自民党本部の失態はさておき、前回の票数を上積むする取り組みが甘かったのは否定できません。ここはしっかり次回に対応する必要があります。
【相手方の逆襲】
前回小選挙区で敗北をした相手陣営は早くから体制を整え、達増知事まで応援に繰り出す徹底ぶりでした。そもそも支援組織が弱体化したとはいえ、基礎部分までは朽ちておらず、以前から優勢な地域の底固めに注力したとみえました。
【既存政党の凋落】
共産党は東北ブロックで虎の子の議席を失いました。驚くことに、れいわ新鮮組が共産党を上回る票を獲得して1議席を得ました。格差社会の是正をどちらの政党も訴えていますが、SNSの発信や、若い人たちの共感がこのような新勢力を台頭を指示したと推察されます。公明党も全国的に不調で組織は絶えず新陳代謝をくりかえして行かねば退潮するという現実を見せつけられました。
【国政の代弁者の不在】
国会は首班指名が終えておらず、内閣がどのように編成されるかは今のところ不透明ですが。比較数で自民党が与党となった場合、県南地区で与党の国会議員を失ったことは影響が大きいです。私も大きな国政マターから地域課題まで意見を素直に吸い上げてくれる存在がいなくなったことは無力感を禁じ得ません。県南の首長も同じ考えではないかと十分に推察されます。
今回の戦いは終わりましたが、次なる選挙も4年以内には必ずやってきます。反省から得た課題を次に生かすことが極めて重要です。
2024年10月30日
2024ヒアリング@平泉町
今年も「いわて県民クラブ・無所属の会」の市長村ヒアリングを行います。
私が担当するのは、一関市、平泉町、陸前高田市、住田町、遠野市、大船渡市、釜石市の7自治体です。
来月は副議長の公務が多いため、佐々木代表に無理を言って近場でお願いしました。
本日、昨年は大トリの訪問だった平泉町を訪問し、青木幸保町長、菅原幹成副町長、企画総務担当の職員の方に対応頂きました。
毎年、県要望の際にも立ち会っているので、最重要課題5項目の確認をし、町政、県政にかかるさまざまな課題について意見交換をしてまいりました。特にも県内3世界遺産の連携による観光事業の戦略化については県に積極的に図を描いて実行してほしいとの強い要望があったところです。
人口が減っていくなかで、町政課題も身を切る改革をしなければならないという青木町長のことばが印象的でした。
ヒアリング活動は来月の第三週から本格化していきます。我が会派のヒアリングにかかる留意点は形式に囚われず意見交換をするところにあります。
私が担当するのは、一関市、平泉町、陸前高田市、住田町、遠野市、大船渡市、釜石市の7自治体です。
来月は副議長の公務が多いため、佐々木代表に無理を言って近場でお願いしました。
本日、昨年は大トリの訪問だった平泉町を訪問し、青木幸保町長、菅原幹成副町長、企画総務担当の職員の方に対応頂きました。
毎年、県要望の際にも立ち会っているので、最重要課題5項目の確認をし、町政、県政にかかるさまざまな課題について意見交換をしてまいりました。特にも県内3世界遺産の連携による観光事業の戦略化については県に積極的に図を描いて実行してほしいとの強い要望があったところです。
人口が減っていくなかで、町政課題も身を切る改革をしなければならないという青木町長のことばが印象的でした。
ヒアリング活動は来月の第三週から本格化していきます。我が会派のヒアリングにかかる留意点は形式に囚われず意見交換をするところにあります。
2024年10月23日
小沢一郎氏とのご縁について
早いもので私も政治の世界に入り四半世紀の時を数えました。
国会議員との出会いもこの世界入ったことにより一般の人たちよりも機会が多いと思います。その中でも世間でも有名な小沢一郎氏は私の政治の世界に入る際の大きな判断の材料になりました。
これから書くことは私と小沢一郎氏との接点により私が感じたことですので、意図的にデフォルメを施したものでは決してありません。
この先もう小沢一郎氏のことを記すことはまずないと思われるので、この機会に自分自身の備忘録も兼ねて記したいと思います。
時は平成6年の頃に遡ります。私の父、忠雄は無所属で昭和62年に東磐井選挙区から県議会議員に初当選しました。平成6年に小沢一郎氏が自民党を飛び出し、新しい政党をつくりました。父が連携をしていた東山町出身の菅原喜重郎氏も新しい政党に参画したため父も決断を迫られました。元々政党色を鮮明にせず無所属を標榜したことは大東町の政治勢力を分断させないことも目的としていたため父もかなり迷った様子でした。しかし、新生党から新進党となった当時の勢いは飛ぶ鳥を落とすほどの勢いで、小沢一郎氏の秘書からも参画せねば対立候補を出すと再三にわたって強く促されました。結局、父は平成7年の県議選は新進党公認で出馬。当選をしたものの知事選との連動で当時の小沢氏の秘書から連日矢のような指示命令と対応を迫られたのが影響で体調を乱し、闘病の末、平成9年1月に逝去するに至りました。平成7年から平成11年までの4年間は父のように北上の片方盛先生など逝去された県議が異常なほど多かった期でした。
父は新進党籍のまま現職県議で亡くなったのですが、小沢氏の葬儀出席は、上記の経緯や入院時にもご本人や秘書から一切見舞いの言葉も行動もなかったこともあり母と私は丁重に断りを入れさせてもらいました。増田知事からは是非に弔辞を上げさせてほしいとの言葉を受け入れて、立派な弔辞を頂戴しました。
初盆の季節が近づき、町内の小沢支持者の方々が小沢一郎氏を連れてお焼香に来家されました。断る理由もないのでお迎えをしましたが、仏壇に焼香後ご本人からは母と私に対して一言も発することもなく、速やかにお帰りになりました。後に連れて来られたのが不本意だったのだと知りました。
(その後、私が県議になり、小沢一郎氏の支援県議の重鎮だった及川幸郎県議の葬儀の際も、当日秋田に政務があるということで葬儀前にささっと焼香をされて葬儀会場を後にした姿を見た時に、我が家で見た光景が蘇りました。小沢直系の県議にもこのような仕儀をしたのを見て小沢氏の人間性、評価が私の中で確定しました。)
私は父の代理で平成7年にある方の結婚式に出席した時に、ちょっと声をかけられたのを最後に今日の今日まで一度も会話をしたこともありません。ご縁がなかったということなのでしょう。
平成10年の夏。新進党から自由党になっていた頃、小沢氏の支持者の方々から自由党での県議出馬の要請を受けましたが、生意気にも出馬するなら無所属でと即答しました。3日後に同じ町内から公認候補者が出馬することが報道され、菅原喜重郎氏も自由党に参画していたので支持者がねじれた激戦になりましたが、勝ち抜くことができました。
無所属との判断は、父の入院中にあった衆議院選挙、町長選挙の中に入り、手段を選ばぬ集票手法に疑問を感じたこと。また平成10年7月に行われてた椎名素夫氏の参議院選挙の戦いぶりに感銘受け、これこそ真の選挙の在り様だと感じいったことにあります。また、当時の大東町が政治的に分断されていたことに対して私なりに旗幟を鮮明にすれば不幸な歴史がくりかえされるとも考えました。父が悩み経験したことが私の体の中に残っていたのだと思います。
椎名素夫氏とは私が入会した増田知事を支える県議会会派「政和会」との関係も良好で、県議会の開催の度毎に増田知事、椎名素夫氏、政和会のメンバーとの交流が図られました。
葬儀の話題に付言すると、椎名氏は支持者であった藤沢町議の岩渕維雄氏の葬儀では自ら弔辞を述べられ、法要の席まで出席され、故人に対しての感謝と地方自治に貢献された尊敬の意を示されました。私は小沢氏と椎名氏との対比に愕然とし、椎名氏への畏敬の念はますます深まりました。
その後、椎名氏からはILCに関して示唆を受け、それは私の最大の政策課題になっています。
私は選挙に関していえば候補者と有権者が信頼をつなぐことだ常々思っています。かって私が目の前で見た恐怖や指示一辺倒で人を動かす方法は私の主義と決して相容れるものではありません。現在がどうかは知る由もありませんが。
政治とカネをめぐる問題が今選挙の争点となっています。自民党が組織ぐるみで政治資金を還流し、帳簿に記載しなかったことは責めを負うべきものだと私も思います。しかし、政治資金規正法違反という点においては小沢氏は過去に群を抜いた額で秘書が起訴された事実があります。過去の事実は過ぎ去ったものとして敵方を攻める手法を堂々と行っている姿はとても奇異に見えて仕方ありません。このようなやり方がまかり通れば政治は決して成熟していかないと思います。
国会議員との出会いもこの世界入ったことにより一般の人たちよりも機会が多いと思います。その中でも世間でも有名な小沢一郎氏は私の政治の世界に入る際の大きな判断の材料になりました。
これから書くことは私と小沢一郎氏との接点により私が感じたことですので、意図的にデフォルメを施したものでは決してありません。
この先もう小沢一郎氏のことを記すことはまずないと思われるので、この機会に自分自身の備忘録も兼ねて記したいと思います。
時は平成6年の頃に遡ります。私の父、忠雄は無所属で昭和62年に東磐井選挙区から県議会議員に初当選しました。平成6年に小沢一郎氏が自民党を飛び出し、新しい政党をつくりました。父が連携をしていた東山町出身の菅原喜重郎氏も新しい政党に参画したため父も決断を迫られました。元々政党色を鮮明にせず無所属を標榜したことは大東町の政治勢力を分断させないことも目的としていたため父もかなり迷った様子でした。しかし、新生党から新進党となった当時の勢いは飛ぶ鳥を落とすほどの勢いで、小沢一郎氏の秘書からも参画せねば対立候補を出すと再三にわたって強く促されました。結局、父は平成7年の県議選は新進党公認で出馬。当選をしたものの知事選との連動で当時の小沢氏の秘書から連日矢のような指示命令と対応を迫られたのが影響で体調を乱し、闘病の末、平成9年1月に逝去するに至りました。平成7年から平成11年までの4年間は父のように北上の片方盛先生など逝去された県議が異常なほど多かった期でした。
父は新進党籍のまま現職県議で亡くなったのですが、小沢氏の葬儀出席は、上記の経緯や入院時にもご本人や秘書から一切見舞いの言葉も行動もなかったこともあり母と私は丁重に断りを入れさせてもらいました。増田知事からは是非に弔辞を上げさせてほしいとの言葉を受け入れて、立派な弔辞を頂戴しました。
初盆の季節が近づき、町内の小沢支持者の方々が小沢一郎氏を連れてお焼香に来家されました。断る理由もないのでお迎えをしましたが、仏壇に焼香後ご本人からは母と私に対して一言も発することもなく、速やかにお帰りになりました。後に連れて来られたのが不本意だったのだと知りました。
(その後、私が県議になり、小沢一郎氏の支援県議の重鎮だった及川幸郎県議の葬儀の際も、当日秋田に政務があるということで葬儀前にささっと焼香をされて葬儀会場を後にした姿を見た時に、我が家で見た光景が蘇りました。小沢直系の県議にもこのような仕儀をしたのを見て小沢氏の人間性、評価が私の中で確定しました。)
私は父の代理で平成7年にある方の結婚式に出席した時に、ちょっと声をかけられたのを最後に今日の今日まで一度も会話をしたこともありません。ご縁がなかったということなのでしょう。
平成10年の夏。新進党から自由党になっていた頃、小沢氏の支持者の方々から自由党での県議出馬の要請を受けましたが、生意気にも出馬するなら無所属でと即答しました。3日後に同じ町内から公認候補者が出馬することが報道され、菅原喜重郎氏も自由党に参画していたので支持者がねじれた激戦になりましたが、勝ち抜くことができました。
無所属との判断は、父の入院中にあった衆議院選挙、町長選挙の中に入り、手段を選ばぬ集票手法に疑問を感じたこと。また平成10年7月に行われてた椎名素夫氏の参議院選挙の戦いぶりに感銘受け、これこそ真の選挙の在り様だと感じいったことにあります。また、当時の大東町が政治的に分断されていたことに対して私なりに旗幟を鮮明にすれば不幸な歴史がくりかえされるとも考えました。父が悩み経験したことが私の体の中に残っていたのだと思います。
椎名素夫氏とは私が入会した増田知事を支える県議会会派「政和会」との関係も良好で、県議会の開催の度毎に増田知事、椎名素夫氏、政和会のメンバーとの交流が図られました。
葬儀の話題に付言すると、椎名氏は支持者であった藤沢町議の岩渕維雄氏の葬儀では自ら弔辞を述べられ、法要の席まで出席され、故人に対しての感謝と地方自治に貢献された尊敬の意を示されました。私は小沢氏と椎名氏との対比に愕然とし、椎名氏への畏敬の念はますます深まりました。
その後、椎名氏からはILCに関して示唆を受け、それは私の最大の政策課題になっています。
私は選挙に関していえば候補者と有権者が信頼をつなぐことだ常々思っています。かって私が目の前で見た恐怖や指示一辺倒で人を動かす方法は私の主義と決して相容れるものではありません。現在がどうかは知る由もありませんが。
政治とカネをめぐる問題が今選挙の争点となっています。自民党が組織ぐるみで政治資金を還流し、帳簿に記載しなかったことは責めを負うべきものだと私も思います。しかし、政治資金規正法違反という点においては小沢氏は過去に群を抜いた額で秘書が起訴された事実があります。過去の事実は過ぎ去ったものとして敵方を攻める手法を堂々と行っている姿はとても奇異に見えて仕方ありません。このようなやり方がまかり通れば政治は決して成熟していかないと思います。
2024年10月21日
衆院選も終盤戦へ
自分は一騎打ちの戦いをしたことがないので、その厳しさを心底まで想像でしかできませんが、当事者は大変気をもみながら毎日過ごされているのだと思います。
ネットではだいぶヒートアップされて熱くなっている御仁もいるようです。しかし、衆議院がいくら政権選択の選挙だといっても、政局オンリーのお話や相手をこき下ろすやり方ではなく、せっかくの有権者との直接的な意思疎通ができるのも選挙でありますから候補者も関係者も
堂々と政策論争をしてほしいです!
批判ばかりでは決して民主的政治は成熟しません。
ネットではだいぶヒートアップされて熱くなっている御仁もいるようです。しかし、衆議院がいくら政権選択の選挙だといっても、政局オンリーのお話や相手をこき下ろすやり方ではなく、せっかくの有権者との直接的な意思疎通ができるのも選挙でありますから候補者も関係者も
堂々と政策論争をしてほしいです!
批判ばかりでは決して民主的政治は成熟しません。
2024年10月18日
政治資金規正法違反について
今回の衆議院選挙は政治とカネの問題が有権者の判断の材料とされるとされています。野党はここぞとばかり総攻撃をかけていますが、過去に裁判案件があったことを多くの人は忘れているようです。
以下の記事は2017年4月27日発行の新聞赤旗に掲載されていたものです。
政治資金規正法違反の虚偽記載の罪で強制起訴された小沢一郎・民主党元代表に対し、東京地裁は無罪の判決を言い渡しました。
同じ虚偽記載では、会計責任者などを務めた小沢氏の秘書3人に対し、昨年すでに有罪の判決が言い渡されています。秘書は逮捕・起訴され有罪になり、議員本人は検察審査会で強制起訴されても無罪というのは国民に通用するのか。判決は「無罪」でも、小沢氏が国会議員として疑惑に答え、政治的道義的責任を明確にする責任は、いよいよ重大です。
資金の出所隠すため
事件は小沢氏の資金管理団体「陸山会」の土地取引をめぐるものです。「陸山会」が2004年、東京・世田谷区に約4億円の土地を購入した際、実際には小沢氏が用立てた資金で購入したのに同年の政治資金収支報告書には記載せず、年間450万円もの利子を支払って銀行から4億円の融資を受けるなど、不透明な資金の出し入れがあったというものです。
政治資金規正法は、政治団体などの政治活動が「国民の不断の監視と批判の下に」置かれるために、政治資金の公開を求めているものです。政治家が政治資金をめぐって疑念をもたれること自体重大であり、国会の政治倫理綱領は自ら説明責任を果たすことを求めています。小沢氏は事件発覚後、ただの一回も国会で説明していません。小沢氏が国会での証人喚問に応じ、疑惑に答えるのは当然です。
秘書3人への有罪判決に続き、小沢氏への判決も政治資金収支報告書の虚偽記載があったことを認め、その動機は小沢氏から資金が出ていたことを隠すためだと指摘しました。小沢氏は秘書から政治資金収支報告について報告を受け了承していたが、虚偽記載についてまで「共謀」はなかったというのが無罪判決の論理です。
小沢氏はこれまで、政治資金規正法の虚偽記載は「形式的」なものだといいのがれ、収支報告書の作成は「秘書任せ」だったと自らの関与を否定してきました。判決は、こうした主張がなりたたないことを示すものです。もともと政治資金規正法の政治家本人への責任追及は不十分だとの批判があります。形ばかりの「無罪」判決で小沢氏の責任が免れるなどと考えればそれこそ大間違いです。
いったいなぜ土地購入が小沢氏からの資金によるものだということを隠そうとしたのか。ここにこそ“核心中の核心”があります。今回の判決はふれていませんが、昨年の秘書への判決はゼネコンからの闇献金が含まれていることを「追及・詮索」されたくなかったからだと指弾しました。公共事業の発注をめぐるゼネコン献金は税金の還流です。核心部分について小沢氏は説明すべきです。
市民による起訴の重み
小沢氏の起訴は、検察が不起訴にしたものの市民が参加した検察審査会によって「起訴相当」と議決されたものです。市民が参加した強制起訴の重みを受け止める必要があります。判決が検察に対し、事実に反する捜査報告があったと批判する一方、起訴の議決自体は有効としたのも重要です。
小沢氏は民主党の実力者です。小沢氏に説明責任を果たさせ、政治的道義的責任を明確にさせるうえで、野田佳彦首相と民主党の責任もあいまいにすまされません。
西松建設事件での報告書の虚偽記入は03〜06年まで4年分、陸山会の報告書では計2100万円とされています。
この記事の内容はきわめてまっとうなものです。
しかしながら時が流れ、いまや本県では野党共闘でガッチリ手を組み、当時のまともな意見は封殺。
いやはや政治とは恐ろしいです。
以下の記事は2017年4月27日発行の新聞赤旗に掲載されていたものです。
政治資金規正法違反の虚偽記載の罪で強制起訴された小沢一郎・民主党元代表に対し、東京地裁は無罪の判決を言い渡しました。
同じ虚偽記載では、会計責任者などを務めた小沢氏の秘書3人に対し、昨年すでに有罪の判決が言い渡されています。秘書は逮捕・起訴され有罪になり、議員本人は検察審査会で強制起訴されても無罪というのは国民に通用するのか。判決は「無罪」でも、小沢氏が国会議員として疑惑に答え、政治的道義的責任を明確にする責任は、いよいよ重大です。
資金の出所隠すため
事件は小沢氏の資金管理団体「陸山会」の土地取引をめぐるものです。「陸山会」が2004年、東京・世田谷区に約4億円の土地を購入した際、実際には小沢氏が用立てた資金で購入したのに同年の政治資金収支報告書には記載せず、年間450万円もの利子を支払って銀行から4億円の融資を受けるなど、不透明な資金の出し入れがあったというものです。
政治資金規正法は、政治団体などの政治活動が「国民の不断の監視と批判の下に」置かれるために、政治資金の公開を求めているものです。政治家が政治資金をめぐって疑念をもたれること自体重大であり、国会の政治倫理綱領は自ら説明責任を果たすことを求めています。小沢氏は事件発覚後、ただの一回も国会で説明していません。小沢氏が国会での証人喚問に応じ、疑惑に答えるのは当然です。
秘書3人への有罪判決に続き、小沢氏への判決も政治資金収支報告書の虚偽記載があったことを認め、その動機は小沢氏から資金が出ていたことを隠すためだと指摘しました。小沢氏は秘書から政治資金収支報告について報告を受け了承していたが、虚偽記載についてまで「共謀」はなかったというのが無罪判決の論理です。
小沢氏はこれまで、政治資金規正法の虚偽記載は「形式的」なものだといいのがれ、収支報告書の作成は「秘書任せ」だったと自らの関与を否定してきました。判決は、こうした主張がなりたたないことを示すものです。もともと政治資金規正法の政治家本人への責任追及は不十分だとの批判があります。形ばかりの「無罪」判決で小沢氏の責任が免れるなどと考えればそれこそ大間違いです。
いったいなぜ土地購入が小沢氏からの資金によるものだということを隠そうとしたのか。ここにこそ“核心中の核心”があります。今回の判決はふれていませんが、昨年の秘書への判決はゼネコンからの闇献金が含まれていることを「追及・詮索」されたくなかったからだと指弾しました。公共事業の発注をめぐるゼネコン献金は税金の還流です。核心部分について小沢氏は説明すべきです。
市民による起訴の重み
小沢氏の起訴は、検察が不起訴にしたものの市民が参加した検察審査会によって「起訴相当」と議決されたものです。市民が参加した強制起訴の重みを受け止める必要があります。判決が検察に対し、事実に反する捜査報告があったと批判する一方、起訴の議決自体は有効としたのも重要です。
小沢氏は民主党の実力者です。小沢氏に説明責任を果たさせ、政治的道義的責任を明確にさせるうえで、野田佳彦首相と民主党の責任もあいまいにすまされません。
西松建設事件での報告書の虚偽記入は03〜06年まで4年分、陸山会の報告書では計2100万円とされています。
この記事の内容はきわめてまっとうなものです。
しかしながら時が流れ、いまや本県では野党共闘でガッチリ手を組み、当時のまともな意見は封殺。
いやはや政治とは恐ろしいです。
2024年10月15日
藤原崇 出陣式に出席
本日、第50回衆議院議員選挙が公示されました。
私は現在の岩手3区に再編されてから、積極的に藤原崇さんを応援しています。
今回の選挙は前回の快勝時とはうって変わって自民党への逆風の風の中の戦いです。所属する自民党の不祥事に関してはご本人もその一端にいたことを認めています。
その事実に関して、直接ご本人から本日の選対会議で経緯について説明がありました。
その内容を把握した上で、私は藤原崇さんも応援する気持ちにいささかの揺るぎはありません。
私は自民党の党員でもなく、一貫して国政政党の傘には入らず無所属で活動しておりますが、衆議院選挙は政権選択の選挙でもあり、政治に身を投ずる身としては関りをなくすることはできないという考え方です。
藤原氏は地域活動に対して常に真摯に取り組まれ、選挙区内の首長からも厚い信頼を得ています。
例をあげれば長年の懸案であった国道4号線の拡幅の進展や特筆すべきは大きな自然災害のあった国道107号の災害復旧。復旧だけにとどまらず見事に改良された形になり、岩手県の財源持ち出しも最小になるという導きをされました。
私の政治課題である国道343号、新笹の田トンネルの実現についても積極的に整備局に関わってもらい、逐次ご本人から進捗状況を報告されています。こうした土木案件だけでなくILCの実現についても宮城の小野寺五典氏とタッグを組んで動いて頂いております。
「継続こそ力なり。有権者との信頼を築かれてこられたこの年月を水泡に帰すことは決してなりません。岩手の良識が試される戦い。
地域のためにも岩手のためにも日本のためにも41歳の若さを投じて活躍が期待でき、将来に責任ある世代の只中にいる代表者を力強く押し出していきましょう。」
と出陣式の前で激励の挨拶を述べました。決算議会と選挙日程がまる被りで早朝や夜間しか私が動ける機会は限られますが、後援者への理解を求めるために別の手段で動きたいと思います。
それから相手候補のことについても、今まで何度かこのブログで書いてきましたが、おそらく最後になると思いますので後日記していきたいと思います。大事なことなので。
私は現在の岩手3区に再編されてから、積極的に藤原崇さんを応援しています。
今回の選挙は前回の快勝時とはうって変わって自民党への逆風の風の中の戦いです。所属する自民党の不祥事に関してはご本人もその一端にいたことを認めています。
その事実に関して、直接ご本人から本日の選対会議で経緯について説明がありました。
その内容を把握した上で、私は藤原崇さんも応援する気持ちにいささかの揺るぎはありません。
私は自民党の党員でもなく、一貫して国政政党の傘には入らず無所属で活動しておりますが、衆議院選挙は政権選択の選挙でもあり、政治に身を投ずる身としては関りをなくすることはできないという考え方です。
藤原氏は地域活動に対して常に真摯に取り組まれ、選挙区内の首長からも厚い信頼を得ています。
例をあげれば長年の懸案であった国道4号線の拡幅の進展や特筆すべきは大きな自然災害のあった国道107号の災害復旧。復旧だけにとどまらず見事に改良された形になり、岩手県の財源持ち出しも最小になるという導きをされました。
私の政治課題である国道343号、新笹の田トンネルの実現についても積極的に整備局に関わってもらい、逐次ご本人から進捗状況を報告されています。こうした土木案件だけでなくILCの実現についても宮城の小野寺五典氏とタッグを組んで動いて頂いております。
「継続こそ力なり。有権者との信頼を築かれてこられたこの年月を水泡に帰すことは決してなりません。岩手の良識が試される戦い。
地域のためにも岩手のためにも日本のためにも41歳の若さを投じて活躍が期待でき、将来に責任ある世代の只中にいる代表者を力強く押し出していきましょう。」
と出陣式の前で激励の挨拶を述べました。決算議会と選挙日程がまる被りで早朝や夜間しか私が動ける機会は限られますが、後援者への理解を求めるために別の手段で動きたいと思います。
それから相手候補のことについても、今まで何度かこのブログで書いてきましたが、おそらく最後になると思いますので後日記していきたいと思います。大事なことなので。
2024年10月13日
日本被団協がノーベル平和賞を受賞
核兵器の脅威訴え続けた70年 被爆実相に光当てる平和賞
【日本経済新聞電子版 2024年10月11日 20:04 (2024年10月11日 22:47更新)】
惨禍の「忘却」を防ぐため、70年近くに及び原爆被害の甚大さを訴えてきた被爆者らの取り組みに栄誉が贈られた。ノーベル賞委員会が日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)への平和賞授与を決めた背景には、核軍縮への流れが停滞する現状への危機感がある。被爆の実相に光を当て、核リスクに改めて警鐘を鳴らした。
「日本被団協と被爆者の代表らによる並外れた努力は、核のタブーの確立に大きく貢献してきた」。ノーベル賞委員会は授賞理由で、核兵器使用は道徳的に許されないとする国際的な規範を「タブー」という言葉で表現した。あらわにしたのは現状への警戒感だ。
核兵器保有国が兵器の近代化と改良を進め、新たに手に入れようとする国々もあると強調。「人類の歴史で今こそ、核兵器とは何かを思い起こす価値がある」と訴えた。フリードネス委員長は「被爆者の証言を聞くべきだ」とも語った。
米シンクタンク・軍備管理協会のダリル・キンボール会長は「ノーベル賞委員会は核保有国が核兵器廃絶に向けた具体的な行動を起こすよう、この問題の認知度を高めるという素晴らしい選択をした」と評価する。
委員会が核兵器使用を繰り返し「タブー」と明言した点について「核兵器を保有し、使用の可能性を持ち続けている全ての核保有国に対するメッセージだ」と指摘。「核兵器の数や役割を増やさないように知性と大胆なリーダーシップが必要だ」と語る。
広島大平和センターの川野徳幸センター長も「緊迫した国際情勢に歯止めをかけたいという強い思いの表れだろう」と分析する。「背景にはロシアによるウクライナ侵略やパレスチナ自治区ガザでの戦闘で高まった核の脅威への緊張感がある」とみる。
ノーベル賞委員会は近年、核廃絶や核軍縮の動きを重視している。核兵器禁止条約の採択に向け各国に働きかけた非政府組織(NGO)の核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)が2017年に平和賞を受賞した際には、被爆者の国際的な認知度も高まった。
川野氏は「ICANに続いて日本被団協へも平和賞を授与することで、目指すべき平和な国際社会の姿を再度打ち出したと言える」と委員会の狙いを推測する。
委員会も「いつか歴史の目撃者としての被爆者は私たちの目の前からいなくなる」と言及した。広島や長崎では若い世代が惨禍を語り継ぐ動きがあるが、被爆者が減少するなかで記憶の風化を懸念する声は強い。
長崎大核兵器廃絶研究センターの吉田文彦教授(核軍縮政策)は「被爆者の高齢化が進む中で改めて被爆者の言葉に耳を傾け、核の不使用の規範を守ろうという期待が込められた授賞」と語る。「『長崎を最後の被爆地に』と、日本からの発信を強化していくべきだ」と話した。
このノーベル平和賞は現社会に起こっている危機的状況に対する警鐘を鳴らす意味合いを強く持つ。その意味で記事にも書いているように現在核使用に垣根が低くなっている状況を世界に知らしめるタイミングを狙ったものだろう。
だとしても被団協の今日までの弛まぬ活動に評価されたことは、国内外に大きな意味を持つものだ。
「いつかは被爆者がいなくなる」今後の活動の継続は新たな展開をつくっていかねばならないことを考えると容易ではない。
受賞者の方が話されておられたが、あと10年早く受章されていたらまた展開は変わっていたかもしれない。が、たらればを言っても仕方がない。以前紹介した映画スタンリー・キューブリックの「博士の異常なる愛情」のようなことにならないように今生きている私たちは未来に責任を持つ行動をしていかねばならない。
【日本経済新聞電子版 2024年10月11日 20:04 (2024年10月11日 22:47更新)】
惨禍の「忘却」を防ぐため、70年近くに及び原爆被害の甚大さを訴えてきた被爆者らの取り組みに栄誉が贈られた。ノーベル賞委員会が日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)への平和賞授与を決めた背景には、核軍縮への流れが停滞する現状への危機感がある。被爆の実相に光を当て、核リスクに改めて警鐘を鳴らした。
「日本被団協と被爆者の代表らによる並外れた努力は、核のタブーの確立に大きく貢献してきた」。ノーベル賞委員会は授賞理由で、核兵器使用は道徳的に許されないとする国際的な規範を「タブー」という言葉で表現した。あらわにしたのは現状への警戒感だ。
核兵器保有国が兵器の近代化と改良を進め、新たに手に入れようとする国々もあると強調。「人類の歴史で今こそ、核兵器とは何かを思い起こす価値がある」と訴えた。フリードネス委員長は「被爆者の証言を聞くべきだ」とも語った。
米シンクタンク・軍備管理協会のダリル・キンボール会長は「ノーベル賞委員会は核保有国が核兵器廃絶に向けた具体的な行動を起こすよう、この問題の認知度を高めるという素晴らしい選択をした」と評価する。
委員会が核兵器使用を繰り返し「タブー」と明言した点について「核兵器を保有し、使用の可能性を持ち続けている全ての核保有国に対するメッセージだ」と指摘。「核兵器の数や役割を増やさないように知性と大胆なリーダーシップが必要だ」と語る。
広島大平和センターの川野徳幸センター長も「緊迫した国際情勢に歯止めをかけたいという強い思いの表れだろう」と分析する。「背景にはロシアによるウクライナ侵略やパレスチナ自治区ガザでの戦闘で高まった核の脅威への緊張感がある」とみる。
ノーベル賞委員会は近年、核廃絶や核軍縮の動きを重視している。核兵器禁止条約の採択に向け各国に働きかけた非政府組織(NGO)の核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)が2017年に平和賞を受賞した際には、被爆者の国際的な認知度も高まった。
川野氏は「ICANに続いて日本被団協へも平和賞を授与することで、目指すべき平和な国際社会の姿を再度打ち出したと言える」と委員会の狙いを推測する。
委員会も「いつか歴史の目撃者としての被爆者は私たちの目の前からいなくなる」と言及した。広島や長崎では若い世代が惨禍を語り継ぐ動きがあるが、被爆者が減少するなかで記憶の風化を懸念する声は強い。
長崎大核兵器廃絶研究センターの吉田文彦教授(核軍縮政策)は「被爆者の高齢化が進む中で改めて被爆者の言葉に耳を傾け、核の不使用の規範を守ろうという期待が込められた授賞」と語る。「『長崎を最後の被爆地に』と、日本からの発信を強化していくべきだ」と話した。
このノーベル平和賞は現社会に起こっている危機的状況に対する警鐘を鳴らす意味合いを強く持つ。その意味で記事にも書いているように現在核使用に垣根が低くなっている状況を世界に知らしめるタイミングを狙ったものだろう。
だとしても被団協の今日までの弛まぬ活動に評価されたことは、国内外に大きな意味を持つものだ。
「いつかは被爆者がいなくなる」今後の活動の継続は新たな展開をつくっていかねばならないことを考えると容易ではない。
受賞者の方が話されておられたが、あと10年早く受章されていたらまた展開は変わっていたかもしれない。が、たらればを言っても仕方がない。以前紹介した映画スタンリー・キューブリックの「博士の異常なる愛情」のようなことにならないように今生きている私たちは未来に責任を持つ行動をしていかねばならない。
2024年10月12日
後味の悪さが残る
競馬 藤田菜七子騎手が現役引退 スマホ不適切使用で騎乗停止
【NHK電子版 2024年10月11日 20時23分 】
スマートフォンを不適切に使用したとして騎乗停止の処分を受けていた藤田菜七子騎手についてJRA=日本中央競馬会は、11日付で藤田騎手の騎手免許を取り消し、現役引退を発表しました。
藤田騎手は去年4月ごろまで、JRAが禁止しているレース開催中の調整ルーム居室内にスマートフォンを持ち込んで通信を複数回行ったことがわかり、10日、騎乗停止の処分を受けました。
JRAによりますと藤田騎手は10日引退を届け出ていて、11日付で騎手免許を取り消し、現役を引退したと発表しました。
27歳の藤田騎手は2016年にJRAで16年ぶりに誕生した女性騎手で、2019年には日本人の女性騎手として初めてJRAの重賞を勝利するなど通算166勝をあげました。
今朝からメディアではこのニュースが飛び交っているが、JRA側の主張では以前の調査で外部通信は行っていなかったという藤田騎手の申告が虚偽であったとして騎乗停止の処分を行ったとのこと。これが真実ならば藤田側に弁解の余地はない。
しかしながら、突如として引退にまで発展したことに対して大きく波紋を広げている。
調整ルーム内のスマホ持ち込み事案は後を絶たず、競馬施行者として社会情勢に鑑みた実態把握や現場とのコミニケーションが図られていたのかどうか、実際この間の規制については他の公営競技からJRAは甘いという指摘も以前からあったし、内容が曖昧であったことは否めない。
競技の運営に公正を図ることは最優先とすることはその通りだが、若い人材をこのような形で追い込んでしまったのは後味が悪すぎる。
藤田菜七子騎手は競馬サークル出身ではなく、努力を積み重ねて技量を上げてきたことは多くの関係者が認めるところであり、その姿が後に続く女性騎手への相次ぐ誕生のきっかけになったことは間違いない。願わくば引退をするにしても多くのファンに祝福と労いの輪の中でさせてあげたかった。
そういえば荒尾競馬所属の岩永千明騎手も同じ事案が発端で引退を余儀なくされた。
胴元のJRAの対応があまりに役所的過ぎることも相まって、藤田騎手の引退は個人的にはとても残念である。
【NHK電子版 2024年10月11日 20時23分 】
スマートフォンを不適切に使用したとして騎乗停止の処分を受けていた藤田菜七子騎手についてJRA=日本中央競馬会は、11日付で藤田騎手の騎手免許を取り消し、現役引退を発表しました。
藤田騎手は去年4月ごろまで、JRAが禁止しているレース開催中の調整ルーム居室内にスマートフォンを持ち込んで通信を複数回行ったことがわかり、10日、騎乗停止の処分を受けました。
JRAによりますと藤田騎手は10日引退を届け出ていて、11日付で騎手免許を取り消し、現役を引退したと発表しました。
27歳の藤田騎手は2016年にJRAで16年ぶりに誕生した女性騎手で、2019年には日本人の女性騎手として初めてJRAの重賞を勝利するなど通算166勝をあげました。
今朝からメディアではこのニュースが飛び交っているが、JRA側の主張では以前の調査で外部通信は行っていなかったという藤田騎手の申告が虚偽であったとして騎乗停止の処分を行ったとのこと。これが真実ならば藤田側に弁解の余地はない。
しかしながら、突如として引退にまで発展したことに対して大きく波紋を広げている。
調整ルーム内のスマホ持ち込み事案は後を絶たず、競馬施行者として社会情勢に鑑みた実態把握や現場とのコミニケーションが図られていたのかどうか、実際この間の規制については他の公営競技からJRAは甘いという指摘も以前からあったし、内容が曖昧であったことは否めない。
競技の運営に公正を図ることは最優先とすることはその通りだが、若い人材をこのような形で追い込んでしまったのは後味が悪すぎる。
藤田菜七子騎手は競馬サークル出身ではなく、努力を積み重ねて技量を上げてきたことは多くの関係者が認めるところであり、その姿が後に続く女性騎手への相次ぐ誕生のきっかけになったことは間違いない。願わくば引退をするにしても多くのファンに祝福と労いの輪の中でさせてあげたかった。
そういえば荒尾競馬所属の岩永千明騎手も同じ事案が発端で引退を余儀なくされた。
胴元のJRAの対応があまりに役所的過ぎることも相まって、藤田騎手の引退は個人的にはとても残念である。
2024年10月08日
12年間国会で発言なし
先日の河北新報朝刊。興味深い記事を発見しました。
この3年間の任期中に東北選出の衆議院議員が国会でどのような発言をしたのかAIで解析し、発言内容の頻度数に応じて文字の大きさや濃さに反映されたものを記事中にまとめたものです。これで議員がどの政策に興味関心があるのかが一目瞭然となります。
大きく目を引くのは下段の方の「発言なし」
それも同紙の解説によれば2012年以来12年間国会で発言をしていないとのこと。
国会は国の最高の立法機関です。代議士の仕事という点から見れば、「発言なし」はどう評価したらいいのでしょうか。思わずこの記事を見た瞬間に唸ってしまいました。
椎名素夫元参議院議員に関しては参議院の外交委員での発言を何度も私は観たことがありましたが・・・